銭形は、限界を感じていた。
某国の美術館に、ルパン三世からの予告状が届いたというので駆けつけてきたが、この国の警察はまったくやる気がない。いや、やる気がないというのは少なくとも警察として成り立っている組織に使う言葉かもしれない。ここの警察は、まるで権力をもったヤクザだ。
賄賂、恐喝はあたりまえで、警察官による合法的殺人までおこなわれている始末なのだ。
「こんな状態では、ルパンどころではないぞ」
ルパンに無関心な警察から嘲笑とともに放り出された銭形は、安宿に部屋を借り、ようやく落ち着いたところだった。
色街に近いためか、夜になると騒音がひどい。車やバイクのけたたましい排気音、男たちの怒声、女の甲高い笑い声。たいていのことには慣れっこの銭形だが、さすがに眠れない。
「明日になったら、宿をうつるか」
ついでにルパンを見かけた者がいないか聞き込みをしよう。ただ、治安の悪さが日常となった国の人々は、ルパンのような男がうろついていても気づかないかもしれない。
「あいつらが紛れ込むにはうってつけの環境だな」
むしろ自分のほうが目立つらしい。今日もこの宿にたどりつくまで、何度もからまれたりスリに狙われたりした。日本では強面(こわもて)と言われるが、ここでは人がよさそうに見えるのかもしれない。
「ん?」
隣の部屋で、窓の割れる音がした。
続く、女の悲鳴。
「やれやれ…」
銭形は腰をあげた。いちいち騒ぎにかかわっていては切りが無いのはわかっている。しかし隣の部屋ともなれば無視できない。損な性分だとは思うが、こればっかりは……警察官としての最後の砦だ。
ドアをあけると、ちょうど隣の部屋から女が飛び出してきた。金髪に青い瞳の美しい女だ。ルパンなら鼻の下をのばして自分の部屋にかくまうことだろう。
「大丈夫か?」
だが銭形はルパンではないので、冷静に声をかける。
「×☆○◎■☆×▲!」
「ああ? 英語は話せないか?」
この国の言葉は銭形が習得しているいくつかの言語のどれにも似ていない。女はもう一度、同じようなことを言ったが、銭形が理解しないとわかると何やら愚痴をいいながら部屋に戻っていった。
「おい、戻ったら危ないだろう!」
銭形はドアをあけようとノブをまわした。しかし、すでに鍵がかかっている。
「どういうこった」
銭形は首をかしげながら自分の部屋に戻った。すると隣の部屋から、今度は男女の甘い声が響いてきた。
「……痴話喧嘩かよ。まったく人騒がせな」
女はたぶん、ほっておいてくれとでも言ったのだろう。言葉がわかれば、その場で苦笑いしただけですんだのかもしれない。
安宿の薄い壁からは、隣の音がそのまま聞こえてくる。独り身の男には、まったくもってよろしくない。
「絶対に! 明日! 宿を! うつるぞ!!!」
布団を勢いよく頭からかぶった。
☆
翌朝、銭形はドアをノックする音で目をさました。
寝ぼけ眼(まなこ)で出てみれば、昨夜の金髪美人が立っているではないか。
「ごめんなさい、昨日は助けてくれようとしたんでしょう?」
驚いたことに、素性のよさそうな英語だった。
「あ、いや。何でもなくてよかったですな」
「あなた、観光客……じゃないわよね。この国に観光客は滅多にこないし、来たとしてもこんな宿には泊まらないわ」
美しい花にはトゲがあるという。この薔薇のような唇の女にも、トゲがあるのだろうか。
「実はある人間を追っていてね」
女の目が笑った。こんなセリフに笑えるとは、ひと癖ありそうだ。だが、他に手がかりがあるわけでもないので、とりあえず聞いてみるとしよう。
「こんな男を見かけなかったかな?」
差し出した写真に、女は目を見開いた。ビンゴ、まさかの大当たり。
「……どこで見ました?」
さあ、仕事を始めよう。
-終-