ガツンと鈍い衝撃を顔面に受けた俺は、とっさに状況がつかめずに目を白黒させた。フ、とかかる吐息が頬をくすぐり、唇に当たる熱を知覚させる。見開いた眼に映るのは銭形のほんのり赤く染まった額、怒っているかのように鋭角に上がった眉。
「とっ……」
とっつあんからキスされてるぅ!? 驚きに半開いた口にグイと舌が差しこまれる。
「ん、ぅ、ッ」
力強く口内をまさぐられて。熱く柔らかい舌に舌を絡め取られる。決して巧みとはいえない口吻だけれど、時折当たる歯の感触すら気持ちがよくて俺はゾクゾクした。これまでにキスくらい何度もしてきたけど、とっつあんからって初めてなんだもん、感じない方がおかしいって話だ。お返しに舌先で歯列をなぞり、上唇を甘噛みしてやると銭形の眉間にギュッとしわが寄った。
「ふ、」
鼻にかかった甘い声が零れる。いつの間にか肩にかけられていた銭形の手に力が入り、俺は熱烈な口づけを受けながらゆっくりと布団の上に倒れ込んでいった。
「んぅ、んっ」
「んぁ…っ」
舌の裏を刺激されて湧き上がる唾液を舌ごと吸い上げられる。そのまま銭形の口内で情熱的に舌を噛まれてブルリと震えた。くちゅくちゅと水音と共におさまりきらなかった唾液が顎を伝い落ちる、そんな些細な感触さえ性感を刺激して。
――ヤバい、勃っちゃう……!!
思った時にはすでに遅く、俺の分身は激しく自己主張を始めた。覆い被さっている銭形の腹にそれは触れたのだろう、銭形はびくっと体を強張らせてぱっと身を起こした。……せっかくとっつあんの方からこんな熱烈なキッスをしてもらえたのにっ!! 俺の馬鹿馬鹿っ!! 正直すぎる体を心の中で責めながら追うように上半身を起こして銭形を見るとその顔はまるで熟したトマトのように真っ赤だった。
「……とっつあん?」
呼びかけながら腕に触れるとまた銭形はびくりとして顔を逸らした。その腕はしっとり汗ばんでいて熱い。そっと撫でながら言葉を待っているととうとう銭形が口を開いた。
「す、……」
「す!?」
好きだルパン、ですか!? 思わず勢い込んでオウム返しをしてしまったけれど、とっつあんはそのまま固まってしまった。『す』の形で突き出されたままの唇が濡れていて俺は今スグそれにかぶりつきたい衝動を抑えるのに必死だった。
今の目的は銭形から愛の言葉を引き出すことなのだ、欲望に負けてそれを忘れてしまうような過ちは犯さない。でも早くしてくれないと理性が保てそうにない。早く、早く続きを――! ジリジリしながら掴んだ銭形の腕をさすっていると耳まで真っ赤になっているのが解った。可愛い。しばらくして何かを飲むように喉仏を上下させると銭形は目を伏せて顔をこちらに向けた。
「好きにして、いいから……。行かないでくれ」
「惜しいっ」
思ったままが口から零れ出て銭形が怪訝な顔をした。咄嗟に口を覆って何でもない、と誤魔化し笑いを浮かべる。俺は恋の駆け引きにおいてもスマートでクレヴァーな男、ルパン三世なのだ。……なの、だ、けれど、どうもとっつあん相手だといつもの手腕を発揮できていない気がする。ぐるぐる考えていると、
「ルパ、ン……?」
銭形が小首を傾げて覗き込んできた。先ほどの余韻でか心なし潤んだ瞳で見つめられてうっと息を詰める。こんなの反則だろ……っ可愛すぎるんですけど……っっ。これ以上見ていると我慢がききそうになくて俺は思わず目を瞑った。
珍妙な表情で目を閉じてしまったルパンを見て銭形の胸に不安がよぎる。これまで散々言葉でも行動でも求められてきたのを全てただの嫌がらせだと袖にしてきたのだ、今さら俺がこんな気持ちになったところでまともに取り合ってくれるのか。そこまで考えて、都合よく今までのルパンの求愛を本気だと思い込もうとしている自分に気づく。うぅ、俺ってこんなに身勝手な男だったのか。
――好きにしていいから、なんて言わなければよかった。あ、そう、なんて軽く頷かれて帰り支度をされでもしたら、と想像して胸の辺りがすっと冷えた。視線を落とすと自分の腕を掴んでいるルパンの手が目に入る。筋が浮いた手の甲、そこから伸びる指はしなやかで長い。
やっぱりこの手が欲しい、と思った。何度もこの手を掴んだ、手錠も掛けたことがある、稀代の大泥棒であるこの男に正義を執行できるのは自分だけだと思ってきた。けれど本当にそれだけだったのか? 捕えたと思ったのも束の間、あっさりと逃げられて。そのたびに胸が熱くなったのは悔しさのせいだけだったのか? ……きっと、違う。自分の正義を貫きたい思いにも、こいつの贖罪を求める気持ちにも嘘偽りはない、それは今でも全く変わりはない。けれど追う自分を突き動かしてきたのは、もっと衝動的で、本能的で、凶暴なまでの――。
「と、……とっつあん」
ルパンの声に思考を遮られて銭形は顔を上げた。
「本当に、俺の好きにしていいの?」
穏やかな口調とは裏腹にギラギラと異様な光を湛えるルパンの瞳に銭形は一瞬怖気づいたがこくりと頷いた。腕を掴んでいたルパンの手がふわりと上がり頬を撫でられる。また心臓が大げさに跳ね上がり、顔が熱くなる。
ルパンは気忙しげに視線をあらぬ方へ送り――それとなく恋煩いのブタの残量をチェックしたのであるが銭形はそんなことには全く気付かなかった――、ゆったりと笑みを浮かべると言葉を継いだ。
「じゃぁ、もう一回キスして。とっつあんから」
「えっ」
きょとんと眼を見開いた銭形の顔全体が、一拍遅れてぽぽぽっと音を立てそうな勢いで紅くなる。まさか、そんなことを要求されるとは思っていなかった。
「俺の好きにしていいんでしょ? 俺はキスしたい、キスして欲しい、アンタからのキスが欲しい。できない? さっきはすごい勢いでがっついてきたじゃない?」
そんなふうに畳みかけられて俺は咄嗟にあわあわと口を開けたり閉じたりするしかできなかった。だってさっきは必死だったんだっ、お前が俺を放って帰るとかいうから……っ! 今になって自分がしたことが恥ずかしくなって汗が噴き出る。
「ねぇ、」
ルパンの甘えたような声が降ってきてグイと引き寄せられる。鼻先が触れそうなほどの近距離。あとほんの数センチ、顔を寄せれば唇が触れる絶妙な距離を保ったままルパンは指先で銭形の耳をくすぐった。
「キスしてヨ」
いつもより少し低い、艶のある声と共にワインの香りがする息を吹きつけられて俺はごくりと固唾を飲んだ。心臓の音がどんどんとうるさい。落ち着け……! 応えられないでいるとルパンが笑う気配がした。
「案外意気地なしなんだねぇ、銭形警部殿は」
「なにっ」
「だぁって、キスの一つも出来ないんデショ、鬼警部ったってこういう時は形無しなんだねェ。リードされなきゃ何にも出来ないんだ」
非常に解りやすい挑発だったのだが、それでも銭形は険しい表情になりぎりっと歯を食い縛った。
「馬鹿にするなよ」
「じゃぁ行動で示しなよ、男気ってやつをさァ」
ほれほれと言わんばかりに唇を突き出すルパンに銭形はぐぅと唸り声を上げた。ここで覚悟を決めなければ男がすたるというものである。ぎこちなく両手を上げるとガシッとルパンの顔を掴んだ。
「!!」
その手の力強さとは裏腹に、ちょんと唇が触れる。そのままゆっくりむにっと柔らかな熱が押し付けられてルパンは内心狂喜乱舞した。
『好き』って言葉は引き出せなかったけど、これはこれで非常に美味しい。とっつあんが強情なことくらい、長い付き合いで解りきっていたからひとまず言葉は諦めて自発的に俺を求めさせる方向に切り替えたんだけれどやっぱり正しい選択だった。
言っちゃあなんだが、これまでの愛の営みでのとっつあんときたらどこの魚市場に出しても恥ずかしくない立派なマグロだったからナ――!!!
などと失礼なことを考えているルパンの胸中など知る由もなく銭形は懸命にルパンの唇を啄ばんでいた。
「ん、ん、ぅ」
ちゅっちゅと音を立てながらバードキスをくれる銭形を今すぐ押し倒して頭の芯から蕩けるくらいに濃厚なキスをお見舞いしたい衝動と必死に戦う。
――俺は今、銭形から求められているのだ。女々しいけれど、この幸せな時間を少しでも長引かせたかった。
例えこれが、恋煩いのブタの効果によるものだったとしても。