聖なる夜の争奪戦

 冷たい風が梢を揺らし、その幹の陰に隠れるようにして立つ男は肩をすくめた。皮手袋をした手を擦り合わせ、無意味だと知りつつも指先に息を吹きかける。その息が白くやわらかな形を作り、濃紺の闇に溶けていくのを追って男は空を見上げた。
 雲一つない夜空には満天の星が輝き、ここに来るまでに見たイルミネーションやツリーの電飾を思い出した男は傍に立つ仲間に気付かれないように浅いため息をついた。




 十二月二十四日、夜。
 世間ではクリスマスだイヴだと誰もが浮足立っているに違いない。
 華やかな電飾に BGM、腕をからませ歩く恋人たち、子供へのプレゼントを抱えて家路へ急ぐ父親、キッチンでごちそうやケーキ作りに奮闘する母親、暖かな部屋でツリーの飾りつけをする子供たち――。幸せな光景が脳裏によぎり、男は小さく首を振った。
 そんな光景は別世界の出来事だとでもいうかのようにここは暗く、寒い。耳を澄ませば遠く離れた繁華街の喧騒が冷たい風に乗って聞こえてきてわびしい気持ちに拍車をかけた。
 その時、腰にぶら下げた無線機がザッと音を立てて男の背筋がピンと伸びる。慌てた様子でベルトから取り外すとスピーカーから声が流れてきた。
「――そちらは異状ないか」
「はっ、異状ありません、隊長」
 男は見張りのターゲットである裏口に視線を凝らす。そこには人の気配はもちろん、ここに配置された時から何の変化も見当たらなかった。
「そうか、油断するなよ。今交代要員がそちらに向かった。手順通り頼む」
顔を上げると隊長の言葉通り、表から一人出動服に身を包んだ青年がやってくるのが見えた。
「おい、浅井、交代だってよ」
「もうそんな時間か。うぅー、さっむい……んじゃ一足先に温い場所行くかぁ。井口、あとちょっと頑張れよ」
 小声で言い、仲間の脇腹を肘でつつくと、先ほどまで押し黙ったまま立っていた彼はいきなり饒舌になり、ぶるっと身震いすると男――井口の肩を叩いて早足に持ち場を離れた。各所に配置された見張りは二人組で構成され、一人ずつ時間をずらしての交代となっている。こうすることで交代時のブランクをつぶし、引継ぎもスムーズに行えるというわけだ。
 解ってはいるけれど、この寒空の下ずっと立っているのはなかなかの苦行だ。交代時間になり暖かい詰所に戻る浅井を恨めしそうに見送った井口の前に新しい相方としてやってきた男が立ち、ぎこちない動作で敬礼をした。
「見張りお疲れ様です! 上野です、よろしくお願いします!」
 張り切った声が澄んだ空気に響き、井口は慌てて人差し指を口の前に立てた。
「ばっかやろう、大声出すな」
咎めるような小声に上野ははっとした顔をして口を手で覆う。井口はそんな彼を無遠慮にじろじろと眺めた。
「……お前、現場は初めてか」
「はい……」
若干気落ちした表情で答える彼はまだ年若い。あどけなさが残るといってもいいその顔に緊張の影を認め、自分にもこんな時があったと井口は苦笑した。
「落ち込んでる暇ぁねえぞ、ここの担当は聞いてるな?」
「はっ、裏口の見張です」
「そうだ、でもそこだけ見てりゃいいってわけじゃねぇ、ルパンの奴はどこから来るか解らないからな……」
 井口は自分が新人だった頃に銭形警部や突撃隊隊長に指導されたことを思い出しながら新人の上野に仕事のポイントを解説し始めた。




 一通り説明を終えた井口を上野は尊敬の眼差しで見上げる。
「凄いですねぇ、一口に見張りといってもこんなに色々気を付ける点があるんですねっ」
「こんなの序の口だ、慣れてくりゃもっと仕事が増える」
井口は一瞬照れくさそうな顔をしたがぶっきらぼうに言い捨てた。自分が警部や隊長に向けていたものと同じような視線を向けられるとは。嬉しいような気恥ずかしいような思いが井口の顔をほんの少しだけ緩ませる。そんな彼をキラキラとした表情で見ていた上野は何かを思い出したように自分の懐に手を入れた。
「あ、あの……これ、交代の時渡すはずだったんですが」
取り出したのは缶コーヒーだった。申し訳なさそうな顔で井口に差し出しながら。
「もう冷めちゃってるかもしれないですね」
 井口は黙って受け取ると軽く持ち上げ感謝の意を示し、プルタブを引いた。蓋の切れ目部分に亀裂が入る、そんな微かな音でさえこの静寂の中では響いて聞こえた。ぽかりと開いた口から、申し訳程度に湯気が立ち上る。井口は両手で挟んだ缶を軽く転がすとゆっくりと口を付けた。
 苦みのある温かな液体が喉から胃へ滑り落ちていく。確かに買ったばかりのものと比較すれば冷めていたかもしれない。だがこの寒さの中で冷え切った体には十分な熱さを持っていた。一口、二口と飲み進めると冷え固まった筋肉がほぐれていくような気さえして、井口はほっと息をついた。
 「二十時十八分か……」
 腕時計を眺めてつぶやく。ルパンの予告状によると二十一時にはこの近代美術館に収蔵されている絵が盗み出されるはずだった。奴らはいったいどこからやってくるのか――耳を澄ませても静寂しか返ってこないところを見るとまだどこにも奴らが現れた気配はないようだ。その時ひときわ大きな風が吹きつけ、木陰に立つ男二人は大きく身震いした。風向きが変わったようで一時は聞こえなかった街中の賑やかな音が再び微かに聞こえてくる。上野は襟元を掻き合わせるとその音に誘われるかのように夜空を見上げた。
「しかしなんだってこんな日に盗みなんかするんですかね」
 上野は鼻をすすりながらつぶやいた。泥棒の気持ちなんか知らねぇよ、と井口は目線を裏口付近にやったまま返す。上野はガタガタと震え、だってクリスマスイブですよ、と恨めしげに言った。
「警部だって隊員のみんなだってイブに彼女や家族放り出して寒い中こんな……やりたく、ないでしょう」
 上野の言葉に井口は振り返った。
「何だお前、知らなかったのか」
「え?」
「今日の仕事、家庭持ちや彼女持ちは希望出せば免除だったのに」
「え」
 まぁ優先順位はあるけどな、新婚だとか子供が小さいとか、今夜プロポーズするつもりだとか。井口は小さく笑うと言葉を続けた。あれで案外気ぃ使いなんだよ銭形警部。その言葉に上野は目を丸くする。
「その様子だと本当に知らなかったんだな」
「はぁ、僕、いや私は先日配属されたばかりで……」
 上野の気の抜けた言葉に井口は声を出さずに笑った。配属されたばかりの初現場がルパンの案件でしかもクリスマスイブなんて気の毒な新人だ。
「まぁ免除希望出す奴はほとんどいないけど。突撃隊の隊員はみんな警部の仕事にかける情熱を解ってるし俺ら隊員にとってもルパン逮捕は悲願だからな」
 突然うきうきとした様子でしゃべりだした井口を上野はあっけにとられたように眺めていた。
「それに今夜はアレがあるからな!」
「アレ……?」
先ほどまでとは打って変わって心底嬉しそうな様子の井口に上野は小首をかしげる。訝しげな視線にも気づかず井口は星空を見上げた。
「鍋パだよ、鍋パ! 明日は警部の誕生日だから俺ら主催で警部を囲む会やるんだよ」
「警部を囲む会……、このヤマの後で、ですか?」
驚いたように囁く上野に井口はこともなげに頷く。ご褒美があると思うとますます仕事にも身が入るってもんだよな、という先輩隊員の言葉に上野は呆けたようにご褒美……? とつぶやいた。
「お前も参加するか? 今夜だけは無礼講だし、何より……酔った警部は可愛いぞ」
 語尾にハートマークがつきそうな勢いの井口の言葉に上野は顔を顰めた。言葉は悪いがあの厳ついおっさんが酔ったからといって可愛いなんて想像もできやしない。そうは思ったものの、上野は先輩の機嫌を損ねないように言葉を選びながら言った。
「いえ、私は……。でも、だったら長丁場は困りますね」
「そうだな、さっさとルパンの奴をとっ捕まえてレッツパーリィだ」
 軽口を叩く井口の背中を眺めて上野はなぜかむっとした顔になる。
 
 と、その時美術館の表の方がにわかに騒がしくなった。井口の腰の無線機から雑音に混ざって銭形警部の声が流れ出す。井口はさっと真面目な顔つきになり無線機に耳を押し当てると舌打ちして上野に叫んだ。
「あいつら東口の方から侵入したらしい! おい上野、応援に行くぞ!」
 上野はその言葉を聞くや否や木陰から飛び出した。少々頼りない新人、という印象を持っていた井口はその俊敏な動きを驚きをもって眺める。だが彼の走る方向に気付いてあちゃー、と声を漏らすと呆れたように額に手を当て、その背中に向かってがなりたてた。
「おいっ、バカヤローそっちじゃねぇったら!」
 だがしかし、上野を追いかけようとした井口は一歩踏み出した瞬間自分の体の異変に気がつく。踏みしめたはずの地面がふわふわとし、視界がぐるぐる歪みだして真っ直ぐ歩けない。既に数十メートル先を走る上野に助けを求めようとした井口は、ちらりと振り返った彼の横顔を見てあ、と口を開けた。裏口に今にも到達しようとしている上野はヘルメットをかなぐり捨て、出動服の上着を脱ぎ捨てる。その下から現れたのは鮮やかな赤のジャケット。
 ちくしょう、さっきのコーヒー……!
 何か仕込まれていたと気づくも既に遅く、かすむ視界の中で上野――否、ルパンの口角が高く持ち上がるのが見えたのを最後に井口の意識は途切れた。




 十数分後、先ほどまでは静かな闇に包まれていた近代美術館の周辺にはけたたましいサイレンの音や男たちの声に騒然となっていた。その中でもひときわ大きく響き渡る濁声を追うようにサーチライトの光が闇を裂いて美術館の屋根を照らし出す。その端と端に、それぞれ対峙する二人と一人の男のシルエットが浮かび上がった。
「とっつあ~ん、こんな日までお勤めゴクロウサマっ」
 しっかりと額縁にはまったままの絵を抱え込んだルパンは銭形に向かってウインクする。銭形は手錠を構えたままじりじりとルパンに向かって足を進めていった。
「こんな日までってんならちったぁ日取りを考えてほしいもんだな! それとも何か? 俺にルパン逮捕っていうクリスマスプレゼントでもくれるつもりか」
 ぎりりと睨み付ける銭形の気迫に気圧されたようにルパンはのけぞると抱えていた絵を背後にいる次元に投げてよこした。一瞬驚いたような顔をする次元だったが二、三度手の上で跳ねた絵をうまくキャッチする。ルパンはにやりと笑うと銭形に向かって一歩足を踏み出した。
「クリスマス? そんなものこの俺様にゃカンケーないのよ。それよかとっつあん、明日誕生日なんだって?」
 思いも寄らないルパンの言葉に銭形は目をぱちくりさせた。ルパンは芝居がかった動作で肩をすくめ両手を広げるとゆっくりと銭形に近づいてゆく。
「水臭いじゃないのよとっつあん……なぁんで俺に誕生日教えてくれないのっ」
「はぁっ!?」
 驚く銭形の口から白い息が漏れる。先ほどまでの満天の星はいつの間にか雲に覆われ、綿毛のようなささやかな雪がちらつき始めていた。緊迫した空気の中二人は間合いを詰め、ほとんど屋根の中央付近に移動していた。銭形の背後では突撃隊の隊員たちがやっと屋根の上に登る手段を確立し一人、また一人と姿を現し始めた。
 焦れたように空を見上げていた次元の表情がパッと明るくなった。下界の喧騒を切り裂くような轟音をとどろかせてヘリコプターが一機近づいてくる。
「ルパン、五エ門が来たぞ!」
「逃がすな、撃てーっ!」
 次元の叫び声に被せるような銭形の号令に一斉射撃が始まるが風が強いこともありなかなか当たらない。次元は投げ下ろされた縄梯子に飛びつき、いまだ銭形と至近距離で対峙しているルパンを振り返った。
「ルパン早くしろ!」
 ルパンはその声にちらりと次元を見上げ軽く手を上げると銭形の方に向き直った。右手を懐に入れるといたずらっぽい表情で笑みを濃くする。銭形と突撃隊に強い緊張が走った。ルパンは素早い動きで懐から抜いた手を高く掲げ、銭形が制止する間もなくその手に握ったボールを屋根に叩きつけた。
「うわっ……!」
 ボールが破裂すると同時にもうもうとした煙が上がる。煙幕か――! 舌打ちした瞬間、銭形の腹に衝撃が走った。息が止まり、意識が揺れる。しまったと思う間もなく銭形は体を支えていられず体勢を崩した。




「警部、ご無事ですかっ」
「警部殿――!」
 冬の夜風のせいで煙幕はルパンの思惑ほど長く目隠しをしてはくれなかった。煙が薄くなりせき込みつつも口々に銭形を呼ぶ突撃隊の隊員の眼前には驚くべき光景が広がっていた。
「ルパン、貴様何をしてるーッ!!」
 隊長が怒りに震えて叫ぶ。その視線の先には気を失ったままの銭形を担ぎ上げ縄梯子に掴まるルパンがいた。ルパンはあれれ、とつぶやくと険しい顔をして近づいてくる突撃隊にひらひらと手を振った。
「わりぃな、トツゲキタイのみなさん! とっつあんの誕生日パーティは俺様たちでやっとくから! あんたさんがたはイイコにしてサンタさんでも待ってるんだな!」
 ルパンの言葉に縄梯子の上方にいる次元がギョッとして何言ってやがんだ、と叫ぶ。ルパンはそれを見上げるとニシシと笑った。
「だってとっつあんの誕生日だぜ? こぉんな面白いこと放っておかない手はないデショ」
「何がおもしれぇんだよ、ったく……」
 次元のボヤキもどこ吹く風でルパンは銭形の体を担ぎ直すと突撃隊の方に向き直った。
「んじゃ、そーゆーわけで……って、え?」
 余裕げな笑みが張り付いたままのルパンの片頬に冷や汗が滑り落ちた。いつの間にか距離を詰めた突撃隊の面々が鬼気迫る表情で武器を構えていたのだ。ゆらゆらと立ち昇る怒りのオーラをまとった突撃隊員の肩に羽毛のような雪のかけらが着地した瞬間、それがじゅっと音を立てて蒸発したように見えてルパンは目をこすった。

「ルパン――、今日という今日は絶対に許さんぞ……!」
 隊長の地を這うような唸り声を合図に突撃隊はじりじりと縄梯子に近づく。殺気立った男たちの中からどこからともなく声が上がる。
「警部をお守りしろ!」
「そうだそうだ!」
「警部殿は渡さない!」
「そーだそーだ!!」
「警部と鍋パ! 警部と鍋パ!!!」
「そぉぉぉーーーーだぁあああーーー!!!」
 自分たちを鼓舞するかのような雄叫びと共に、出動服の男たちが我先にと縄梯子に飛びついていく。
「ばっ…、おい五エ門、上昇しろ!」
 わらわらと縄梯子に取りすがってくる突撃隊員に次元は操縦席を見上げて叫ぶ。五エ門はその言葉に苦虫を噛み潰したような表情で操縦桿を動かした。ただでさえ風の中でホバリングするのは難しいというのに、縄梯子には予定外の「お荷物」が多数ぶら下がっているのだ。
「まったく面倒事ばかり起こしおって」
 それでもヘリはゆっくりと上昇し始めた。突撃隊員は振り落とされてはまた縄梯子によじ登り、を繰り返している。揺れる梯子を登りきった次元は梯子の中ほどにいるルパンのすぐ足元に隊員の姿があるのを見てまた叫んだ。
「ルパン、早くしろ! とっつあんなんか捨てっちまえ! 捕まっちまうぞ!」
「やぁーだよ! 俺もう決めたんだもん! 今夜の獲物は銭形だって!」
 ルパンは足首を掴む隊員の頭をゲシゲシ蹴りながら次元に叫び返す。次元はあきれ返ってため息をついた。
 しかしこれじゃまるで『蜘蛛の糸』だ――吹き飛びそうな帽子を押さえて見下ろす。黒い団子のように縄梯子の先端にとりつく隊員たちに銃を向けてみようかと思ったものの、この揺れの上に片手には本来の獲物であったはずの絵を抱えていることを思い出して次元は舌打ちした。

「んもぅー、いい加減あきらめなって! しつっこいんだからー!」
 追いすがる手を器用に避けながら縄梯子を上がるルパンの背中で銭形はうっすらと目を開く。
「な……なんだ、どうなってるんだこりゃ!?」
 眼下に広がる光景に思わず声を上げる銭形に、ルパンは彼の腰を掴む手に力を込めた。
「もう気がついちゃったのとっつあん! ちっとばかし大人しくしててくれよぉ、ナイトクルーズと洒落込もうぜっ」
 茶目っ気たっぷりに言うルパンだったが銭形が大人しくしているはずもなく、自分を担ぎ上げているのがルパンその人だと知ると拳を振り上げた。
「どーいうつもりだ貴様ぁ~!」
「わわっ」
 その拍子にルパンの手が緩み、銭形の体がずるりと落ちかける。ヘリの扉に手をかけたまま眺めていた次元がルパンの名を叫ぶ。ぐらりとヘリの機体が大きく傾き、わあわあと叫びながら隊員たちが縄梯子から落ちていった。
「だぁから、暴れんなって言ってんだろー……!」
 言いかけたルパンの視界の隅に、上空から何かが落ちてくる。確かめる間もなくそれは銭形の体にヒットし、銭形自身と隊員たちを巻き込んで落下していった。なんだなんだと見上げた目に映ったのは次元のきまりが悪そうな顔で、全てを悟ったルパンはあぁーっと悲痛な声を上げながら落ちていくベージュのコートに向かって手を差し出した。
「くっ……もう限界だ、行くぞ、次元、ルパン!」
 ヘリの扉を開けた次元に向かって五エ門は叫び、ヘリを旋回させた。次元は身を乗り出して縄梯子の端にぶら下がっているルパンを確かめて安堵のため息をついた。




 美術館の屋根の上では振り落とされた隊員たちが呆然とヘリを見送っていた。
「そ、そうだ、警部殿は無事か……!?」
 はっとして隊員たちは少し離れた場所に落ちた銭形に駆け寄る。仰向けに倒れている銭形を隊長が抱え起こすと銭形はパッチリ目を開けた。ほっとする一同に目もくれずガバッと体を起こすとキョロキョロと周りを見回す。
「ルパンは!?」
「はっ、逃げられてしまいました、しかし……」
「そうか……ちくしょう、ルパンの奴め」
 歯噛みしながら言う銭形だったが、突撃隊員たちは自分たちの上司の身を守れたことに心底安心していた。ふとそのうちの一人が銭形の足元に落ちているものに気付き慎重な手つきで拾い上げた。
「こ、これは……。警部、銭形警部!」
 声を上げた隊員に銭形は振り返る。その手にあったのはルパンが盗むと予告し、一度はその手にしていた絵画だった。落下の衝撃で額縁はボロボロになっていたが、幸いにも絵自体に傷などはついていないようだ。
「勝った……勝ったぞ、俺たちはルパンに勝ったんだ!」
 誰かが叫ぶと隊員たちの間に嬉しそうなどよめきが起こった。
「そうだ! ルパンの盗みは阻止できたし、警部もお守りできたぞ!」
「やった! ルパンに勝ったんだ、俺たちは!」
「警部と鍋パ! 警部と鍋パ!!!」
 無邪気な勝利宣言に湧く突撃隊員を横目で見ながら銭形は内心逮捕できるまでは勝ったも負けたもねぇんだがな、と思ったが今夜くらいはまぁいいかと思い直してコートの埃を払った。
「それじゃここの撤収終わったら呑みに行くとするか!」
 銭形の声に隊員たちは弾かれたように片づけに走り出した。

 ――場所を移して赤坂。幹事が予約した料亭の一室に銭形と突撃隊隊員たちは居た。
「こ、今年も警部のお誕生日を共に祝うことが出来て……俺はっ、俺は感無量です……っ」
 なみなみとビールが注がれたグラスを掲げながら井口は感極まったように目をこすった。
「なんだお前は、もう酔ってんのか?」
 銭形の言葉にどっと笑いが起きる。
「そーだそーだ、井口てめぇはルパンの野郎に一服盛られて転がってただけじゃねぇか」
「うるせー! ルパンに警部の誕生日を教えて奴の頭を混乱させたのは俺の作戦だぞ!」
 浅井の飛ばした野次に食って掛かる井口を隊長は手振りで制して乾杯の音頭を促す。井口ははっとしたように気を取り直すとピシッと背筋を伸ばした。
「それでは我らが銭形警部のお誕生日を祝して……乾杯!」
「かんぱ~い! 警部、お誕生日おめでとうございます!」
 男たちの野太い歓声が上がり、グラスやジョッキが掲げられた。嬉しそうな隊員たちに囲まれて銭形もまんざらでもない顔で酒に口を付けた。

 ――しかし、ルパンに警部の誕生日が知れたとなると来年からは『銭形警部を囲む会』がやりにくくなるな……。
隊長は銭形の隣で嫌な予感に浮かない顔をしていた。




 その頃、ルパンはと言えばアジトのソファーに不満げな顔をして座っていた。その前の床には次元が正座させられている。
「ったくもう……なぁんでせっかく盗み出したお宝を放り出しちゃうかねぇ、次元ちゃんは?」
「すまねぇ……だがな、もとはと言えばルパン、お前が余計なことしなけりゃよかったんだろーが」
 一瞬しおらしい態度を見せた次元だったが、銭形を連れ去ろうとしたルパンの突拍子もない行動を思い出して声を荒げる。傍らに立つ五エ門も頷いた。ルパンはふて腐れて口をとがらせる。
「だってさぁ、とっつあんの誕生日だぜ? 一緒にワイワイしたいなぁ~って、思っちゃったんだもん……、お前らだって思うだろ?」
 両手の人差し指をつんつんと突き合わせていうルパンに次元と五エ門は真顔で首を横に振る。
「たとえ俺ととっつあんがライバルだとしてもさぁー、誕生日くらいお祝いしてやりたいってのは思っちゃダメなわけ?」
「ダ・メ!」
 静かなイヴの夜に次元と五エ門の声が綺麗にハモってこだました。

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