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小さなもみの木の足元には、たくさんのプレゼント。
通り過ぎて行く大人も子どもも、皆楽しそうに、笑みを浮かべる。
その唇からこぼれる、「メリークリスマス!」という祝福の言葉。
夢の中の銭形は、いつも十にも満たない幼い子どもの姿で、華やかなテレビの向こう側を、眺めている。
警察一家に生まれ、父も母もこの時期は毎年、歳末警備に大忙しで、滅多に家にいる事がない。
ひとりぽつねんと留守番をしながら過ごすのが、幼い銭形の、毎年のクリスマスの―――そして、誕生日の過ごし方だった。
画面が切り替わったテレビからは、きらきらと輝く星をつけたツリーの映像と、美しい賛美歌が、流れ始める。
その喜びに満ちた歌声を聴きながら、小さな銭形はどうしても、込み上げる淋しさを感じずにはいられなかったものだ。
世界中にあふれる、聖誕を祝う言葉。
その中の、たったひとつでも、自分に向かって言ってもらえたら。
おたんじょうび、おめでとう、と。
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12月25日。
今日がキリストの誕生を祝う日であり、そして、己の生まれた日であると気づいたのは、銭形が夕方四時、病院へ脚を踏み入れてからの事だった。
普段は無味乾燥に、白一色に統一されている院内も、今日ばかりはあちこちに小さなツリーが設置されている。
その枝々は、縞模様のクツ下や天使、丸く輝く球体のオーナメントで、賑やかにデコレーションされていた。
銭形の隣を歩く若い医師が、鍵束をじゃらじゃらと弄びながら、
「その飾りは全て、今朝この病院へ慰労に訪れた、教会合唱団の子どもらが作ったものなんです」
と教えてくれた。
生まれて以来、無宗教を通してきた銭形は、医師の言葉に返事をする事なく、無言のまま歩を進めた。
長く続く廊下の先には、厳重なセキュリティが施された、鉄の扉が立ち塞がっていた。
その先は、院内でもごく限られた人間しか立ち入りが許されていない、特別病棟へと続いている。
若い医師は慣れた手つきで、小さく鼻歌を歌いながら、ゆっくりと解錠を始めた。聞き覚えのあるメロディに、銭形は思わず、医師の顔に視線を送る。
まだ表情にあどけなさの残る医師は、銭形の視線に気づくと、肩を竦めてみせた。手は休めぬまま、
「今朝聞いた賛美歌が、すっかり耳に残っちゃいましてね」
と答える。
そうか、と今度は一言だけ返して、銭形はようやく開いた扉の先に、視線を流した。
滑らかに開かれた扉の向こうから、僅かな冷気を感じる。そのまま、狭く薄暗い廊下に、脚を踏み入れた。
若い医師は、銭形の数歩後ろについて歩く。さすがにその口からは、もう何のメロディも聴こえなかった。
ここは、厳重な監視が必要な犯罪者を治療するための、特別病棟だった。
廊下の両側には、固く閉ざされたドアが立ち並ぶ。白いドアの上部には、小さな覗き窓が設置され、その分厚いガラスを覆うように、鉄格子が填め込まれていた。
やがて一室の前で銭形が立ち止まると、医師は無言で、ドアに取りつけられた特殊な錠を外した。
「…では、三十分後に」
「ああ」
医師は小さく呟いて、そそくさと、もと来た道を引き返した。
彼にとってはこの病棟の住人達も、等しく「患者」な訳であったが、無用のトラブルに巻き込まれるのは避けたいという本音が、ありありと感じられるスピードだった。
「……よう」
六畳ほどのスペースの室内に入ると、銭形はそう声をかけた。
患者―――そして彼の捕らえた犯罪者、石川五右エ門は、ベッドの上に胡坐をかいたまま、ギロリと鋭い視線を銭形に向けた。
「毎日、毎日、飽きもせず…そんなに暇なのか」
定刻通りに訪れてきた銭形を、五右エ門はそう言って罵ろうとした。
が、投げつけた挑発は、穏やかな笑みに受け止められ、勢いを殺されてしまった。銭形はベッド脇に立ったまま、言葉を返す。
「ああ。何せお前を捕らえたその日から、俺ァ、『ルパン三世専任捜査官』に逆戻りだ。ルパンをもう一度逮捕するまで、他の仕事はみィんな、取り上げられちまった」
「………」
「ルパンや次元の潜伏情報は、相変わらず、掴めていなくてな。お前さんがネタを吐く気になるまで、毎日でも“見舞い”に来てやるさ」
今にも舌打ちをせんばかりに苦々しく顔を歪め、五右エ門は視線を逸らした。
その腕に巻かれた包帯を眺めて、銭形は、数ヶ月前の事を思い出した。
爆薬で作った島ごと吹き飛ばし、爆死させたはずのルパン一味が、生きている―――。
その情報が銭形のもとに飛び込んできたのは、ルパン一味の死刑執行から三日後の朝だった。
国際死刑執行機関とともに、「タイムマシンが隠されている」という嘘の罠を仕掛けて一味を島におびき出し、逃げ道を塞いだ上で爆死させたのは、当の銭形だった。
その後、周囲をくまなく捜索していた別部隊が、現場から僅か数キロ離れた地点で、岩礁に引っかかるようにして意識を失っている五右エ門を、発見した。
警察側も慌てて捜索範囲を広げたが、ルパンや次元、峰不二子の姿は、影もかたちも見えなかった。
恐らく五右ェ門一人、爆発のどさくさで一味とはぐれ、泳いで逃走する途中に意識朦朧とし、ここで力尽きたのだろう。
いったい、あの大爆発からどうやって逃げ出したのかはサッパリ分からないが、それでも発見時の五右エ門は衰弱が激しく、広範囲におった火傷や、海水に浸されたままの傷口が炎症を起こし、重体であった。
すぐさま彼はこの病院に運び込まれ、手厚い治療を受けたおかげで、順調に回復しつつある。
…だが、今ではほぼ全快といって良い状態の五右ェ門を、銭形はあえて刑務所に送り戻す事をせず、この特別病棟に留めておいた。
このまま五右ェ門を送り戻してしまえば、すぐさま死刑執行のやり直しが行われることは、明らかだ。
銭形には、それを阻止したい理由があった。
「まだ、取引に応じる気にはならねェか?このままじゃ、お前はまた、死刑台に逆戻りだ。それに―――お前がルパンの居場所を吐けば、流星はすぐに返してやる」
「断る…!」
もう何度目かのやり取りに、銭形も思わず、小さなため息をついた。
死刑執行の爆発後すぐに、海面に浮かんできた「流星」―――五右エ門にとっては命にも等しい、大事な仕込み刀―――を発見し、押収したのは、銭形だった。
爆発の凄まじさに関わらず、流星は何の損傷もない状態で、ぷかりと海面に浮かんでいた。それを怪しいと判断し、ルパン一味の捜索を命じたのも、銭形だった。
そうして、流星は今も、銭形と一部の人間しか知らない秘密の場所に、証拠物件として保管されている。
体調さえ戻ってしまえば脱獄も簡単ではあったが、五右エ門が迂闊に逃げ出す素振りを見せないのは、そうした事情からだった。
五右エ門にとっては人質ならぬ、モノ質という訳だ。
銭形はそれを取引の材料とし、事件から数ヶ月、依然として足取りを掴めないルパンらの居所を吐けと、迫ってくる。
しかし五右エ門は、意識を取り戻した時からいっこうに、態度を変えようとしない。
「…まあ、どれだけ脅そうが宥めすかそうが、お前が簡単に態度を変える男じゃねえってのは、知ってる」
「―――」
「お前はそういう奴だからな、五右エ門」
そこでまた、五右エ門の顔が、不快そうに歪んだ。
以前、同じような言葉を、銭形から掛けられた時の事を思い出す。五右エ門は、ますます頑なな態度で、口を開いた。
「俺が仲間を売る事は、この命に懸けて、けしてない。
それを分かっているなら、アンタは何で、毎日毎日、無駄足を運ぶんだ」
「………」
今度は銭形が、黙る番だった。
立ったままの銭形は、しばらく何事かを熟考するかのように、目を閉じた。そして、とうとうパチリと目蓋を開くと、まっすぐに五右エ門の両目を見つめた。
「お前―――あの島で、タイムマシンを探している時。罰当たりな事を抜かしたそうじゃねえか」
「何……?」
「もしも、タイムマシンが本当に見つかったら。
…お前は過去に行って、オフクロさんに、自分を産んでくれるなと、言うつもりだったらしいな」
「―――!」
驚きのあまり硬直する五右エ門の脳裏に、咄嗟に浮かんだ疑問は、あの時の他愛もないやり取りを、なぜ銭形が知っているのか―――というものだった。
しかし銭形は、そんな五右エ門の衝撃などそ知らぬ素振りで、言葉を継ぐ。
「…過去に何があったかは、知らねェが。子供を産むってな、オフクロさんだって命がけなんだぞ。間違ってもそんな馬鹿な事、言ってやるなよ。せっかく授かった命だろうが」
「―――アンタが、それを言うのか」
頭の片隅では、誰が銭形に情報を漏らしたかと、冷静に考えている自分がいた。
だが五右エ門の口から零れたのは、そんな言葉と、銭形に対する嘲笑だった。
「あの日、死刑を執行したのは、アンタのはずだ。俺達を殺そうとした人間が、命を大切にしろなんて…、今更そんな事を言うのは可笑しいな」
その矛盾に、銭形も気づいてはいたのだろう。
五右エ門の言葉に、銭形は怒るでなく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
そうして、クシャリと帽子を目深に被り直すと、再び静かに口を開いた。
「それについちゃ、言い訳はしねェ。それが、俺の仕事だったからな。
だが…、今日はクリスマスだ。見知らぬ他人の誕生日を祝ってやる日なんだから、ついでに、お前の分も祝ってやっても良いだろ」
「何を……」
「生まれてきて良かったな、五右エ門。おかげでお前は、命を懸けてもいいと思えるような、良い仲間に巡り会えたって訳だ」
「―――!」
そこで肩を揺らした五右エ門に、銭形は気づかぬ振りをして、目線を床に落とした。
本来、法は人々の生活を護り、助けるべきものだと、銭形も考えていた時期があった。
自分の生きる使命とは、この世に生まれ落ちた命を、正しく平等に、法のもとに庇護する事だと、信じていた。
けれども長い警察勤めの中で、法とは、単なるシステムに過ぎない事を、思い知った。それが逆に、無辜の民を虐げる場面も、多々見てきた。
その度に、銭形は歯がゆさを感じ、つい、ルパン達の事を思い出してしまう。
捻じ曲がった慣習や組織に縛られず、どこまでも自由に、己の美学と信念を貫こうとする。
そんな彼らの結束が、かえって、銭形の孤独を刺激することもあった。
ルパンには良い仲間がいて羨ましいと、いつか、愚痴めいた言葉を漏らしたことを、ぼんやりと銭形は思い出した。
「信頼できる仲間から必要とされるってのは、いいもんだ。…せっかく取り戻した命だ。有効に使えよ」
「…そんな事を言うために、毎日ここへ通っていた、と言うのか?」
「―――もしもお前が更正して、ルパン逮捕に手を貸したいってンなら、いつでも相談に乗ってやる」
わざとらしく冗談めかして告げたものの、五右エ門はそれ以上、口を開こうとはしなかった。
再び沈黙の行に入ってしまったらしい青年に、やれやれと首を振り、銭形はそれ以上の尋問を諦め、大人しくドアに向かった。
しかし、銭形がドアを開こうとノブに手をかけた瞬間、背後から五右エ門の声が突き刺さる。
「あんたは…、ルパンにも、同じ事を言ってやるのか?」
「―――」
振り返ると、ベッドの上に胡坐をかいたままの五右エ門が、じっと銭形を見つめていた。
生まれてきて良かったな、と。
その生を喜べ、と。
そんな祝福の言葉を、その唇から、あの男にもかけてやるのか―――?
そうして無言で訴えてくる五右エ門の視線を受けて、銭形は無表情に、呟いた。
「………俺は、アイツの誕生日なんざ、知らん」
答えにならない答えを聞いて、五右エ門は、小さく笑った。
「ルパンは、タイムマシンが手に入ったら、自分の誕生日を探しに行くつもりだと言っていた。
誰も…アイツ自身も、『ルパン三世』の誕生日がいつか、知らないんだ。
―――この話は、不二子からは聞かされなかったのか?」
「………」
「…ルパンは本当に、タイムマシンが欲しかったのかも知れないな…」
一味しか知らないはずの会話を、銭形に漏らしたのは、不二子しか考えられない―――それは五右エ門の憶測に過ぎなかったが、間違いないだろうという確信があった。
五右エ門が意識を取り戻してから、銭形が欲していたのはルパンと次元に関する情報のみだった。
もし自分と同じく、既に不二子も銭形に捕らえられ、取引を持ちかけられていたとしたら…否、あの女の事だから、むしろ自分から進んで銭形に情報を差し出し、身の安全を確保するくらいの事は、容易にやってのけるだろう。
だが。
不二子がどこまで喋ったかは定かでないが、銭形は、この話を今日初めて聞いたに違いない。
五右エ門を捕らえてから常に、優位を崩さなかった銭形が、そこで初めて―――何か痛みを堪えるように、表情を歪めたからだ。
鬼警部と呼ばれる男の、滅多に見せぬその表情に、五右エ門は自分でも意外なことに、いささか動揺した。
「…タイムマシンなんか、初めから存在しない。ありゃ、俺が作ったデマだ。
そんな事は、ルパンだって、ハナっから……」
そこまで言い終えると、銭形はふと、口を噤んだ。
ルパンが命を賭して、あの島に現れたのは、長年の勝負のケリをつけるためだったのか。またもや銭形を出し抜いて、勝ち誇りたいだけだったのか。
それとも。
よもやタイムマシンが本当に、あの島にあるのでは…という、僅かな可能性を、確認しに来たとでも言うのだろうか。
そこまで考えたところで、銭形は強引にドアを開くと、病室を出た。
廊下には、約束の時間通りに戻ってきた、若い医師が控えている。
去っていく銭形の背中を見つめ続ける五右エ門の視線は、分厚い病室の扉に遮られた。
一人パトカーを走らせ、既に薄暗くなってきた市街を駆け抜けながら、銭形はまっすぐに警視庁へ向かった。
窓外にはすでにイルミネーションが点り始め、否が応にもクリスマスムードを高めている。煌びやかな街を歩く人々の表情も、どこか明るく浮き浮きとしたものだった。
そんな人々の表情を見て、銭形は酷く安堵する。
例年であれば、クリスマスの夜に独り、宿敵を追って寒空の下を駆け回る己を、自嘲する事もあった。だが、今は違う。
自分がこの手で守りたいと願う、人々の穏やかな生活が、そこにはあった。
少なくとも今、銭形がすれ違った群集の中には、祝福の言葉を求めて彷徨う子どもの姿など、無かった。
警視庁の駐車場に車を乗り入れ、エンジンを切ろうと手を伸ばした瞬間、無線が入電し、銭形は考えるよりも早く応答した。
「銭形」
『……よーぅ。久しぶりだな、銭さん』
「…ルパンか」
ザザ、とノイズ混じりに聞こえてくる宿敵の声を、なぜか大した驚きもないまま、銭形は受け止めていた。
カラカラとした笑い声に続き、いつも通りの、ルパンの軽妙な声が聞こえた。
『あんまり驚かないって事は、俺が生きてるってのぁ、お見通しだったのかな?
まあいいや。今日はアンタに言いたい事があって、連絡したってワケ』
「―――ほお。今までしぶとく沈黙を保ってたくせに、一体どういうつもりだ」
『やだねぇ、久しぶりだってのに、そんな喧嘩ごしじゃ。…ホラ、今日はクリスマスでしょ』
「だから何だ」
急くように問いながらも、銭形は、必死に耳をすませた。
ルパンの声音以外に物音が拾えれば、そこから潜伏場所に繋がる情報となるかも知れない。だが、そうして研ぎ澄まされた聴覚に飛び込んできたのは、意外な言葉だった。
『―――誕生日おめでとう、銭さん』
一瞬、何を言われたのか理解できず、銭形は手中の無線機を見つめた。
今日が己の誕生日だと、ルパンに教えた記憶は無かった。
ひょっとするとルパンは、銭形に関する情報を調べる上で、とっくにその日付を知っていたのかも知れない。だが、こんなふうに祝いの言葉をかけられた覚えなど、一度もない。
「………お前が、俺にそれを言うのか」
まるで先程の病室での、五右エ門とのやり取りのようだ。
そう考える銭形は、ルパンの言葉の裏の意味を読み取ろうと、無線機を握り締めた。
だが、そんな銭形の邪推を吹き飛ばすように、ルパンがもう一度、笑う気配がした。
『アンタの誕生日がクリスマスってのは、笑えるけどなぁ。でも、誕生日ってな、嬉しいもんじゃないの、フツー?』
「……お前は、自分の誕生日を、知らないらしいな」
『ありゃ。不二子がしゃべっちまったのかい?―――ま、その通りだけどヨ。生まれてこの方、誕生祝いだけは、経験してないのよネ』
思わずぽろりと零した言葉を、ルパンはめざとく拾い上げる。
五右エ門も指摘した通り、銭形が情報を得たのは、既に逮捕済みの不二子からであったが、今はもう、その切り札を隠す気分ではなかった。
「―――お前は、もし本当にタイムマシンが手に入ったら、どうするつもりだったんだ」
『ええ?俺?そうだねぇ……』
そんな事をルパンに訊ねてどうするつもりか、銭形には自分でも分からなかった。
だが、無線機から返ってきた答えは、銭形の予想を裏切った。
『もしタイムマシンが手に入ったら―――俺は、アンタの生まれた日に行ってみたいな』
予想外の返答に、銭形は大きな目を瞬いた。
相変わらずノイズ混じりの無線機からは、ルパンの笑い声が続く。
『安心しなって、何も幼子を殺しに行く、ヘロデ王を気取ってる訳じゃないからサ。
…ただ純粋に、アンタが生まれた日ってのに、感謝したい気分なの、俺』
その声音に込められた暖かさに、銭形は思わず、怯んでしまう。
何か触れてはいけないものが、手にした無線機と鼓膜を通じて、じわじわと自分の体内に注ぎ込まれてくるようだった。
いつまでもこんな無駄話をしている場合ではない―――頭の片隅では、そう訴える冷静な声がするものの、銭形はそのまま、ルパンの声に耳を傾ける。
『そりゃあ今回ばかりはさ、俺もとうとうアンタに一本取られたかって、覚悟もしたサ。
…でも、ああもういよいよオシマイだなって時、俺のアタマに浮かんだのって、誰だと思う?』
「―――?」
『…アンタだよ、銭さん。アンタが、すっげェ怖い顔で、俺のこと、睨んでるの。
お前ェはここで終わりかよ、って。所詮それまでの奴なんだな、って言いたそうにしてサ。
そしたら―――みっともなく足掻いてみせようじゃないの、って思えたんだぜ。このまんま負ける訳にゃいかねえゾって、俺を甦らせてくれたのは、アンタだよ―――銭さん』
「……………」
『アンタが勝つか、俺が勝つか―――文字通り命懸けの、勝負事。
あんたが生まれてきてくれたおかげで、こんなに楽しめるんだからサ。
―――だから俺にも、アンタの誕生日ってやつを、祝わせてチョーダイよ』
自分を殺そうとした男に対して、こんな言葉を投げてくる宿敵に、銭形は苦くこみ上げる感情を、押し殺す事に苦労した。
(―――いつまでたってもお前に適わねェのは、俺の方だ)
ライバルとして認めた男に、命を賭して挑戦する―――そのシンプルなまでの信念を貫くルパンにとっては、あの島での一件すら、二人の真剣勝負の一幕として、処理されているのだろう。
そこには何の恨みつらみも、感じられない。
ただ純粋に、己の知恵と技量と命をかけて、銭形に挑戦する事を、楽しんでいる。
そうして再び、互いのプライドをかけた勝負が幕開けようとしている事を予感しながら、銭形はもう少しだけ、無駄話をする気になった。
「―――なら、お前の誕生日ってのが分かりゃ、俺も祝ってやらねェとな」
『へえ、何?プレゼントでもくれるっての?…でもねえ、ホントに知らないんだよネ。つぅか、小さい時のことは、よく覚えてない事の方が多いし。
…あ、だったらさ。俺も、今日が誕生日って事で、どォ?』
「何?」
『せっかく、あの世から甦ってきた事だし。今日が、俺の生まれ変わった日……つまり“誕生日”って事でいーじゃない。それに、あんたと同じ日って事にしちゃえばさ。そー簡単にゃ、忘れないデショ。
今日は、あんたが生まれてきてくれた日で、でもって、俺の誕生日!
―――これってすげェよな、俺とアンタだけの、特別な日って事だヨ』
「…ただのこじつけにも聞こえるが。お前ェのその単純さが羨ましいぜ」
臆面もなく言ってのけるルパンに、銭形はコホンと咳をしながら言い返した。
だが、穏やかな会話が続いたのは、そこまでだった。
『何ソレ、褒めてんの?…ま、いいや。
俺達だけの、トクベツな日を祝って。景気良く、楽しみましょーヨ、銭さん』
「―――ッ?!」
そうルパンが言った瞬間―――無線機からは凄まじい爆発音が轟き、銭形は咄嗟に、耳を手で押さえた。
一体何が起きたのかと、戸惑う銭形の耳には、ガラガラと瓦礫が崩れるような音と、続いて、バタバタと走り回るような足音と。
『おいルパンッ、あったぞ!流星だ!』
『こんなところに隠してたとは―――まあいい、さっさと逃げようや』
昼間にも聞いた五右エ門の声と、懐かしい次元の声だった。
「貴様―――病院か!」
思わず無線機に向かって怒鳴りつける銭形は、そのまま車のエンジンを始動させ、急転回させた。
向かう先は、今頃は五右エ門救出に動いているだろう、ルパンと次元がいる―――そして、流星の隠し場所でもあった、あの病院だった。
五右エ門が想定すらせぬような場所を―――と、敢えて近場に保管していた事が、仇となった。銭形は唇を噛み締めながら、ギアをトップに入れる。
アクセルをベタ踏みして病院へ続く道を疾走する最中、いまだ通信の途切れぬ無線機からは、あるメロディが聞こえていた。
それは、あの若い医師が昼間に口ずさんでいた、賛美歌のメロディだった。
「てめェ…、何が誕生祝いだ。ハナっから、俺の目の前をちょろちょろしてたって訳だ」
『病院に乗り込んで、お医者さんに化けたのは、今日が初めてだヨ。一応俺だって、治療に専念する時間が必要だったからな。
んじゃマ、完全復活を記念して、まずは五右エ門と流星は、頂いていくね。誕生日プレゼントって事で、見逃してヨ』
今日は俺とアンタの誕生日でしょ?と、そこで意味深に笑うルパンの声音に、銭形は怒鳴り返した。
「ふざけるな、すぐにまとめて捕まえてやらぁ!」
『そうそう、アンタはそーやって、怒鳴り散らしてる方がイイよ、銭さん。…じゃあ、またな!』
視界には、白くそびえる病院の棟が見えてきたが、無線はそこでブツリと切れた。
「―――クソッ!…こうなりゃ、地獄の果てまで追ってやる…!」
徐々に近づく病院の棟の一部は、爆発のために壁が一部壊れ、剥き出しの鉄骨やコンクリートや緩衝材が見えている。
おろおろと病院を取り巻く人々の波に素早く視線を走らせるが、そこにはルパン一味の顔はなかった。
今頃はとうに逃げおおせてしまっているに違いないルパンらに、銭形はそう叫びながらも、自然と口元は笑みを作っていた。
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小さなもみの木の足元には、たくさんのプレゼント。
通り過ぎて行く大人も子どもも、皆楽しそうに、笑みを浮かべる。
その唇からこぼれる、「メリークリスマス!」という祝福の言葉。
夢の中の銭形は、またも子どもの姿で、ぽつねんと大きなツリーの側に立っていた。
どうやら、眺めていたテレビの中に、入り込んでしまっていたらしい。
だが、そろそろクリスマスのパーティはお開きとなり、いつものように、夢から醒める―――そして、独りきりの誕生日は終わるのだ。
頭の片隅では冷静に、これはいつもの夢だと知りながら、やはりうら寂しい気分は付きまとう。
けれども、突然真横から聞こえてきた声に、夢のルールは破られた。
「ああ、こんなとこに居たんだ。主役が隠れてちゃ、ダメでしょ」
気づけば、見知らぬ青年が、銭形の隣に佇んでいた。
「ほらほら、みんな、待ってるぜ」
抵抗する間もなく、ひょいと抱え上げられ、青年はスタスタと歩き出す。
振り落とされまいと、とっさに両腕で首にしがみついてくる銭形に、青年が笑う気配を感じた。
「どこまで行くの」
「すぐそこだよ。みんな、アンタを待ってるぜ。ケーキとろうそく、用意してネ」
みんな、というのが誰を指すのか分からなかったが、銭形は、その言葉をするりと受け入れた。
見知らぬ怪しい人にはついていっちゃいけないよ、とは、日頃から親に何度も言われている事だったが、銭形にはなぜか、この青年が危険な人物だとは思えなかった。
大人しく青年の腕の中に抱えられたまま、隣の部屋に移動する。
「「「ハッピーバースデー!」」」
ドアが開いた瞬間、そうした声に迎えられ、銭形はいささか驚き、青年にしがみつく腕に、ぎゅっと力を込めた。
それを宥めるように、小さな背中を優しく撫でて、青年が口を開く。
「今日はアンタの誕生日でしょ。ほら、ケーキとろうそく、ちゃんと用意してあっからサ」
見れば、テーブルの上には明々とろうそくの灯る、バースデーケーキが置かれていた。それを囲むようにして、やはり見知らぬ女性や青年らが、笑顔を浮かべて銭形を見つめている。
「はい、主役を連れてきたぜ」
青年のその言葉に、これは自分の誕生日祝いなのだと、銭形はそこでようやく気づいた。
床にそうっと降ろされて、それでも戸惑う銭形の頭に、青年の手がそっと触れた。
「パーティはこれからだヨ。うんとお祝いしなくちゃなぁ」
どこかで見たような、懐かしい笑みを浮かべて、隣に立つ青年は自分を見下ろしている。
優しく頭を撫でてくるそのひとの名前を、夢の中の銭形は、やはり思い出せない。
モヤモヤと霧がかる頭の中で、ただひとつ、ハッキリしているのは。
その青年の身につけている、赤い赤いジャケットが、銭形にはまるで、サンタクロースのように見えるということだけだった。
じっと見上げる銭形の視線に、青年はますます笑みを柔らかくすると、そっと、銭形だけに聞こえる声音で、囁いた。
「…お誕生日おめでとう、銭さん」
同じ時代に、生きて巡り会えた奇跡に、感謝と祝福を込めて。
おたんじょうび、おめでとう。
うまれてきてくれて、ありがとう。