嘘(仮題)~『試さない』編

どれくらいの間睨み合っていただろう、俺は銭形の瞳に映る自分の情けない顔に気づいて脱力した。同時に体のこわばりが解けて俺は顔を逸らす。
「……やめだ。萎えた」
視界の端で銭形が意外そうな表情をしたのが分かった。
「どうした? ――今更ご主人様が怖くなったか」
苦いものがこみ上げる。俺とあいつは主従関係じゃねぇ、でもそう思っているのは俺だけなのか。
「俺がプライベートで誰と寝ようと気にするような奴じゃねぇよ。俺だってあいつが誰と寝てようが気にしねぇしな」
「俺が相手でもか?」
思わず口角が上がる。自覚なくさらっと自信に溢れる言葉を漏らす男だな、と。ルパンにとって自分がそれだけ大きな存在だと自負しているのか。同時にコイツにとってもルパンは大きな存在なのだ、と、気が付いて俺は舌打ちしたくなった。そんなことはこれまでは当然のように捉えていたことなのに。
「アンタについては殺すな、としか言われてねぇ」
言って再び銭形を睨み返すと、銭形は一瞬驚いた表情をしたのち薄い笑みを作った。その笑みが何を意味するのかは解らなかったが、知りたくもなかった。

――いい眼をしている。
銭形は胸の内でつぶやいた。もっさりと降りた前髪で顔の上半分が隠れている次元は、いつもの仕事で見ている彼より若干幼い印象も受ける。だがしかしその髪の隙間から見える目にはぎらぎらと獣じみた殺気が宿っていた。性的な含みがなくとも圧倒的に不利な体勢の状況で、一片の怯えも見せずこんな目で相手を見据えることができるということに、人間としての強さを感じた。
「……いい加減に退けよ」
不機嫌な声とともに手首を掴まれて銭形は自分が次元の前髪に触れようと手を伸ばしかけていたことに気づいた。多少決まりが悪くなって銭形はおとなしく手を引いた。

意外にすんなり手を引っ込めた銭形に一瞬はてなマークが浮かんだ俺だがこれ幸いとばかりに銭形の胸を掌で突いた。手首の拘束は体を裏返されたときに解かれていた。これまた素直に離れる銭形を確かめて俺は体を起こす。ヤらないと決めたらこんなところに長居は無用だ。
「アンタがモテない理由が分かったぜ。せっかく誘ってやってんのに他の男のことばっかりってんじゃぁな」
立ち上がりながらデスクの上に転がるボルサリーノを拾い、被る。乱れた襟を直し、埃とともにほのかに残る銭形の体温を手で払った。
「そんなつもりはないんだが」
どこか気の抜けた返事につば越しに銭形の顔を見やる。感情の読み取れない鉄面皮に俺は苦笑する。俺がドアに向かい始めても銭形は動こうとしなかった。
ほら、な。俺はなぜかちくりと胸を刺した痛みを払拭しようと自嘲の笑みを漏らした。俺を見ているようで見ていない、コイツの視線が俺に向けられていたって意識はもっと遠くのものに向けられているのだ。銭形の横を神経を尖らせながらすり抜け、ドアを開け廊下に踏み出した俺に銭形はまるで世間話をするかのようなのんびりとした口調で言葉を投げた。
「お前が袖に隠してるそれ、大した役には立たないぞ」
思わず袖を押さえてしまったが動揺は帽子とドアに隠されて銭形に悟られていないことを願う。オマワリなんて、間抜け野郎ばかりだと思っていた。コイツに関してはその認識を改めざるを得ないことを俺はようやく認めた。
「……俺にとってはそうだろうがルパンにはどうだろうな」
返した言葉がいつもの皮肉めいた調子だったことに安堵する。いつでも走り出せるように脚に力を込めたが、銭形は少し目を見開いただけで追いかけてこようとする素振りは見せなかった。
「面白い男だな、お前は。ますます興味がわいた」
「っ……。ルパンの相棒として、だろ」
予想外の言葉に一瞬喉に何かが引っ掛かったようになったが言い返せた俺は偉い。銭形は黙ったまま俺を見ていた。その目の奥にかすかに揺れるのが正義だの道義だのそんなお綺麗なものではなく、ただ真っ黒な炎のようなものだと気づいて俺はぞっとした。これは、狂気だ、そして俺はこんな目をする男をもう一人知っている、それは。
「く、」
俺の思考を遮るように銭形が喉を鳴らして俺は我に返った。薄氷が張っているかのような無表情だった銭形の頬がゆっくりと吊り上がっていく。それが完全な形になる前に俺は駆け出していた。一拍おいて、開け放たれたドアから銭形の哄笑が聞こえてきた。真っ暗な廊下に響く靴音、背後で響く笑い声。まるでホラーだ。俺はやもするともつれそうになる脚を必死で叩きながら走った。



結論を言うと、そんなあれこれを乗り越えて入手したマイクロフィルムは銭形の予言通り大した役には立たなかった。ルパンの解析は完ぺきだったし、そこに記録されている情報以上のものもヤツの頭脳は引き出せていた、だが今回は銭形が一枚上手だったのだ。盗まれたことが解っているのだから相応の対策もできたのだろう。
「だからってよぅ、捕まってやるこたなかったんじゃねぇのか」
「ま~ま~、いいじゃないの、次元ちゃん。どうせ脱獄するんだし?」
狭い護送車に押し込められてむっつりと言う俺にルパンはニヤニヤ笑いながら言った。なんでそんな面倒なことをしなければいけないのか、全く理解に苦しむ。
「お前ら、署に着くまでおとなしくしとれよ」
言いながら乗り込んできた銭形が、俺とルパンの間にでかい体躯をねじ込むように腰を下ろして俺は抗議の声を上げた。
「なっぁんでここに座んだよッ、向かいが空いてるだろうが」
「お前ら引っ付けといたらす~ぐ逃げ出すだろう」
「そ~ぉよネェ~。ワッパかけた後も気を抜かない、さぁすがとっつあ~ん」
ふざけた調子でおべっかを使いあろうことかしなまで作って銭形にもたれかかるルパンの様子にむかっ腹が立った。銭形はそんなことを意に介することもなく新たに手錠を二本取り出すとそれぞれを自分と俺たちの手首にかける。そうこうしているうちに車が動き出し、硬い座面から伝わる振動が道の悪さを思わせた。

「……つかぬことをお伺いしますが」
三十分も走っただろうか、エンジン音と車体の揺れる音しか聞こえない空気を打ち破ってルパンが口を開いた。
「なんだ?」
「この前次元がマイクロフィルムを拝借した時のことだけっども」
ルパンの声が少し低く、周囲の空気がこわばったような気がした。いったい何を言い出すつもりなのか、俺もごくりと固唾を飲む。
「とっつあんさ、コイツの尻たぶにかったいおちんちんを押し付けたってホント?」
「ちょっ…おめぇなに言ってんだぁ!?」
声を潜めて意味ありげな顔でルパンが放った言葉があんまりだったので俺は焦って立ち上がりかけたが手錠の鎖が短すぎてそれもかなわずあわあわと取り乱すしかできなかった。そんな俺を銭形越しに見たルパンの頬にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。
「俺の相棒~、次元の尻にぃ~、熱り立ったおちんちんを突き立てた~、ってのはぁ、本当ですかぁ~?」
一節一節区切るように歌うように言うルパンになすすべもなく俺はぐっとボルサリーノのつばを下げた。頬が熱いのは怒りでなのか羞恥でなのか、もう解らなかった。
「お前らくだらん情報まで共有してるんだなぁ」
銭形はあきれたように言うとスーツの前を少し寛げて見せた。
「盛り上がってるとこ悪いがありゃコレだ」
思わず二人して覗き込むと厚い胸板の奥に見えたのはホルスターに収まっている銭形の愛銃、コルトガバメント。
「マジかよ……」
我知らず愕然とした言葉をこぼす俺を見てルパンが噴き出した。マジかよ、ケツに銃を突き立てられてんのを勘違いして、俺は。独りで盛り上がってたっていうのか、俺は。かっと昇った熱は羞恥によるものだ、と今度ばかりは明確に解った。
「やぁっぱなぁ。不~二子ちゃんにもなびかねぇのに次元の色仕掛けに引っかかるわっきゃねぇよなぁ?」
もうやめてくれ。俺は唇を噛んで俯いた。不覚にも目の奥がじんわりと熱くなってきて困ったが、次に銭形が発した言葉はそれを引っ込めて有り余る威力を持っていた。
「誰が相手でも最後まではいかんだろうな。……俺ァインポなんだ」
「えぇ~~~~っっっ!!!?」
ルパンは悲鳴のような声を上げたが俺は驚きのあまり絶句するしかなかった。
「そんなぁ……とっつあん…かわいそぉ~そんな年齢でもないでしょうに……」
「ストレスに因るもんだ、お前らを逮捕できたからじきに解消されるだろう」
体をくねくねと揺らしながら芝居がかった口調で憐れみを示すルパンに銭形はこともなげに返している。
「……そうでもなきゃ危なかったかもな」
ルパンには聞こえないような小さな声とともにほんの一瞬だけ銭形の手が俺の手に重なって、俺はびくりと肩を揺らした。耳まで広がった熱が、やにわにうるさくなった鼓動が、いったい何のせいなのか。まだきゃあきゃあとはしゃいでいるルパンの声を遠くに聞きながら、俺は考えるのをやめることにした。

オマワリも嘘をつくのだと思い知るのはまた別の話。

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