俺の名前は次元大介。肩に傷を負った殺し屋。モテ渋スリムで悲恋体質のハードボイルド男♪
俺がつるんでいる相棒は世紀の大泥棒をやってるルパン、居合の達人でなんでも真っ二つにしちまう五ェ門、美しいが強欲な女不二子。
相棒がいてもやっぱり日常はタイクツ。今日もルパンとちょっとしたことで口喧嘩になった。
「お化けの仮装をしてK成病院に忍び込むなんて俺ァまっぴらごめんだぜ」
K成病院とは街外れにある病院だ。十数年も前に潰れちまった病院なのだが、建物は解体されず廃墟と化している。
「あれ? 次元ちゃんもしかして恐かったりして?」
ルパンが真っ黒なマントを羽織りながらからかうように言ってくるので俺はむっとした。廃墟になったK成病院はいつからか霊が出るという噂が立ち、肝試しに行った若者が行方不明になった……なんてこともまことしやかにささやかれているいわくつきの場所なのだ。俺はニヒルに鼻で笑い、ソファにごろりと仰向けになる。
「別に恐かねぇよ。ただ、霊が出るっていう噂が本当だとしたら……。人間が興味本位で踏み込んじゃいけない場所ってのがあると思うんだよな俺は」
「ふーん」
ルパンは俺の言葉に被せるように気のない返事をした。コイツ、全然聞いてないな。顔を見なくても解る、ルパンの中では『お化けの仮装をして街外れの廃病院に潜り込む』ことはすでに決定事項で、俺の意見なんてどうでもいいに違いない。
「五ェ門だってやりたかねーよな? ってうわあぁあ!」
半身を起こして五ェ門の方を見た俺は思わず悲鳴を上げた。さっきまで涼しい顔をして会話を聞いていたはずの五ェ門が座っていた場所に恐ろしい形相をした鬼が鎮座していたからだ。
「おっ、鬼、鬼…っ」
「鬼ではない、般若だ」
腰を抜かさんばかりに驚いた俺を見て鬼――般若は溜息をつき自分の顎に指をかけるとグイ、とそれを持ち上げた。下から現れたのはあきれた表情の五ェ門だった。ぶはぁっ。背後でルパンが吹き出す音がする。
「ルパン、拙者の扮装はこれでよいか? というかこれ以上する気はないぞ」
「オーケーオーケー。今の次元の恐がりよう見たろ~? K成病院に出るっていうユーレイもそれ見たらビビッて逃げっちまうかもしんねーなぁ?」
笑いを抑えきれない様子のルパンの言葉に俺の堪忍袋の緒が音を立てて切れる。俺はがばっと起き上りテーブルの上に並べられた仮装用衣装を乱暴に引っ掴んだ。
「わぁーったよ、やるよ! 俺は何にも恐がっちゃいないんだからな、チクショー!」
俺が選んだのは狼男の衣装だ。闇に潜む真っ黒で精悍な体躯、ギラリと光る鋭い眼光――暗黒街の死神と呼ばれるこの俺にふさわしい仮装はやっぱりこれしかねぇ。
「で、なんだってこんな手の込んだことをして廃病院なんか行くんだ」
「だぁかぁら~、K成病院のいんちょーがかなり悪どいやり方で貯め込んだ財産があそこに隠してあるんだってば。それをいただきに参りましょー、っていう話! ちゃんっと説明したでしょーが」
「ふむ、ではこの『お化けの仮装』はなんのためなのだ」
「よっくぞ聞いてくれました五ェ門ちゃん。――俺はね、基本的に霊だのお化けだのは信じてないの。廃墟になった病院なんて、隠し財産を置いておくにはちっと心もとない場所だと思わねぇ?」
俺と五ェ門は得意げに説明を始めたルパンの言葉にうなずいた。
「でも、そこが霊が出るとなると近づく人間も極端に減るだろう。万が一侵入してきた人間がいて、そいつをお宝を守るために殺したとしても……」
俺ははっとした。
「霊の仕業にできる、ってことか」
「そういうこと。俺はK成病院に出るっていう霊もいんちょー側の人間のカモフラージュだと思うんだよね。無駄にトラブりたくないから俺たちも仮装して紛れ込めば相手も仲間だと思って油断してくれるでしょ」
バサッとマントをひるがえし、にひひと笑うルパンを見て俺はフンとため息をついた。今の話は六割本当、あとの四割はこの盗みにかこつけてハロウィンを楽しみたいってとこだろう。
去年のこの時期もしつこくお化けの仮装に誘われたっけ。もっとも去年のルパンの計画は『ハロウィンコスでとっつぁんにお菓子をもらいに行こう!』という誰にとっても嬉しくない企画だったので俺も五ェ門もすげなく断ったのだが。今年は何とか俺たちも巻き込みたくて盗みにからめてきた……ってぇところだろう。ルパンはそんなことおくびにも出さないが、長年相棒をやっているこの俺にはお見通しだぜ。
「しかし、K成病院にそのようなお宝が隠されていたとは初耳だな。話の出所はどこなんだルパン」
五ェ門が言うと同時に部屋のドアが開いた。
「あたしよ」
「不二子!」
ルパンがすっ飛んで行き、不二子に自分の衣装をアピールする。
「どう? 不二子ちゃん、なっかなかの男前デショ、俺」
「あらルパン、あなた吸血鬼になったのね。素敵よ」
「ンッフフフ……我は美女の生き血が欲しいぞよ……!」
バカの極みのようなセリフとともにとびかかるルパンを難なく避けて不二子はこちらを覗き込んできた。あーあ、ルパンの奴顔面から壁に突っ込んで行っちゃってるよ。
「五ェ門は……、般若? あ、うん、まぁオバケではないけど怖いかもね」
五ェ門の頭に斜めに乗っている面を見て不二子は毒気がそがれたような感想を述べた。次いで俺を見た。と、その眼が真ん丸になり、形のいい唇が驚いたように半開きになる。
おいおい、今更俺の魅力に気づいたっていうのか? 言葉もなく潤んだ瞳で熱くこちらを見てくる不二子に俺は皮肉めいた笑みを浮かべた。――いけないぜ、不二子。俺はルパンと恋のさや当てをする気はねぇんだ。
心の中でハードボイルドに決めた俺をよそに不二子はこらえきれない、といった体で噴出した。
「な、なによ次元、あ、あんたなんで犬のかっこうなんかしてるのよっ……」
震える笑い声交じりで告げられた言葉に俺は頭を殴られたようなショックを受ける。ぶっと噴出した五ェ門を振り返ると、俺に背を向けて肩を震わせている。
「バカ野郎、俺は犬じゃねぇ! これァ狼男だ!」
思わず怒鳴ると不二子はけたたましい声を上げて笑い出した。腹を抱えてひーひ―言っている。
「キャンキャン吠えないでよ、もうっ」
「っ……この、くそ女! 性格ブス! おいルパン、衣装交換しろ! 俺が吸血鬼やるっ」
「えぇ~やーダヨ、面倒くさい。それに犬男ってのも探せば存在するかも……」
ルパンの言葉は銃声に遮られた。彼の背後の壁に空いた銃痕に目を向けたまま、俺は銃口から立ち上る煙をふっと吹いた。
「交換しねぇってんなら俺はこの話降りるぞ、ルパン」
苛立ちを隠さない低い声で言うとルパンはやれやれと肩をすくめた。まったく面倒くさい相棒だよ、と呟きながら羽織っていたマントを投げてよこす。知るか、不二子が悪いんだ。受け取って俺はそっぽを向いた。
そんなこんなで、午後十一時が回ったころには俺たちは街外れの廃病院の前に立っていた。
あたりには街灯一本もなく、冴え冴えとした月光に照らされた病院はなるほど霊が出てきてもおかしくないような不気味な雰囲気に包まれていた。
「なんと不気味な。まがまがしい空気に満ちている」
同じ気持ちだったのだろう、俺の後ろで五ェ門がつぶやいた。
「お宝は最上階の院長室か地下の遺体安置室に隠されてるって話だ。どっちから行く?」
異質な雰囲気を醸し出す病院に臆した様子もないルパンの声に俺はひそかに安堵の息をつく。鉄条網が巻きつけられたゲートにかかる『立ち入り禁止』の看板が風に煽られてキイキイと揺れているのを眺めながら院長室が先だ、とつぶやいた。そこになければ仕方がねぇが、遺体安置室に入り込むなんてごめんだね。
「拙者も次元に賛成だ。徒に死者のための場所を荒らすようなまねはしたくない」
五ェ門の言葉にルパンは肩をすくめた。こめかみのあたりから垂れる包帯が揺れる。
衣装を交換しようと俺は言ったのだが、一度完成させた仮装を解いたルパンは再びきちんとした仮装をするのを面倒くさがった。『お前のわがままでやり直しなんだから、ペナルティを受けてもらうんだかんねッ』とか言う解ったようなわからないような理屈で、俺はルパンの頭に包帯を巻かされたのだった。
そんな回想をする俺をよそに、――なんだかんだ言って二人とも、大分信心深いのネ、軽口を叩くとルパンはひらりとコンクリート製の塀を飛び越えた。
割れた窓から建物に入ると、思った以上に中は真っ暗だった。じめっと冷えた空気が体にまとわりつく。
「窓に板が打ちつけられてらぁ。よっぽど何か隠しておきたいんだな」
しばらくして目が慣れてくると辺りを見回したルパンが嬉しそうにつぶやいた。わずかな隙間から差し込む月明かりを頼りに見渡せば、まさに廃病院の名にふさわしい荒れっぷりだった。整然と並べられていただろう長椅子は乱雑に積み上げられ、広々とした床にはごみや土くれが散乱している。
「何か落ちている」
五ェ門が何かに気付き、屈みこむと落ちていたファイルのようなものを拾い上げた。ルパンが振り返り、五ェ門の手元を覗き込む。
「ああ、カルテ。肝試しに来た連中が散らかしてったんでしょ」
俺はなぜかゾッとした。青白い光に浮かび上がる、般若の面をかぶった五ェ門の姿はこの世のものとは思えない凄味があって俺はぶるっと身震いした。
「そそ、そんなもん捨てっちまえよ」
その汚れてぼろぼろの紙片から邪気が漂ってる気さえして、俺は五ェ門の手からカルテを払い落とした。顔を上げるとルパンはすでにエントランス奥にあるエレベーターの前に立っていた。慌てて後を追う。
「んもー、遊んでないでさっさと行こうぜ」
追いついた俺たちに口をとがらせながらルパンはエレベーターのボタンを押す。
「動くのか」
俺の肩越しに五ェ門が覗き込む。俺は彼を見ないように目線を逸らした。正直ちょっと怖いからだ。エレベーターは当然ながらうんともすんとも言わなかった。
「やっぱり動くわっきゃないかぁ。しょうがない、階段で五階まで行きましょー」
ルパンはこともなげに言うと身をひるがえしてさらに奥にあるらしい階段に向かって歩き始めた。静寂の中に俺たちが踏むガラスの破片や砂のジャリジャリいう音だけが響き渡る。
真っ暗な階段を手探りで上り、俺たちは五階にたどり着いた。手すりが壊れていたり、腐りかけていた踏面を踏み抜いたりなどの小さなトラブルはあったが、ユーレイなんてものは出て来るわけもなく俺はすっかり平常心を取り戻していた。
「院長室はこの奥、廊下の突き当たりだ」
俺たちは慎重にフロアに足を踏み入れた。
「空気が重いな」
「確かに。敵さんもここには近づいてほしくないんでねーの? 院長室、アタリかもね」
小声で会話を交わしながら真っ暗な中を進んでいく。二人の言うとおり、ここの空気は一階や階段とは比べ物にならない嫌な空気に満ちていた。俺は腰に挟んだリボルバーを確かめる。
と、突然階下からモーター音が響いてきた。ギョッとして振り返った俺たちの目に映ったのは動かないはずのエレベーターの階数ランプの明かりだった。1、2、3……上昇を告げるようにその明かりは移動していく。止まれ、止まれ――ッ。念じてみるが虚しく、『5』のランプが点灯すると到着を告げるチン、という音が響き渡った。隣の五ェ門が斬鉄剣に手を添える気配がする。エレベーターの扉はゆっくりと開き始め、俺は固唾をのんでそれを見つめていた。開ききった扉の向こうに幽霊なんかいたら俺は悲鳴を上げてしまったかもしれない――だが幸いにも煌々と照らされたエレベーターの箱の中は無人だった。
「なぁんだ、子供だましじゃないの。こんなことでビビるルパン様じゃないんだよねぇ」
ルパンは興味なさそうに言うと廊下の奥に向き直った。まだ油断はできねぇだろ、と俺はエレベーターを睨み付ける。緊迫した空気の中、待機時間が過ぎたエレベーターの扉はゆっくりと閉まり、フロアは再び闇に包まれた。遠ざかるモーター音がエレベーターの下降を知らせる。
ほっと息をついた俺だったが、いきなりグイッと袖を引っ張られて心臓が跳ね上がった。
「おいっ、脅かすなよ五ェ門。こんな時に悪い冗談だぜ」
「ん? 拙者は何もしていないが」
何だって? じゃぁ俺の右手を引っ張っているのは誰なんだ? 五ェ門の言葉に背筋を凍らせて俺は思わず視線を落とし、視界に入ったものを見てうわっと声を上げてしまう。
俺の右袖を引っ張っていたのはブレザーに半ズボン姿のガキだった。思わず振り払おうとするが恐ろしい力を込めて握っているらしくびくともしない。背筋が寒くなったが、霊は院長側の人間のカモフラージュ、というルパンの言葉を思い出して気を取り直す。そう思ってみれば、こんないたいけな子供まで使う『院長側』への怒りがふつふつと湧いてきた。
「おいぼうず、ガキはおねんねの時間だぜ。さっさとおうちへ帰んな」
可能な限り優しく言ってみるがガキは無反応だった。メガネにわずかな光が反射して表情が見えない。ムカついて再び手を振り払うと、今度は何の抵抗もなく子供は手を離した。俺はガキが何かブツブツ言っているのに気付いて身を屈める。
「……さん、……の……い?」
「何ィ? よく聞こえねぇよ」
俺はさらに身を屈め、ガキの言葉を聞こうとした。すると突然少年の首がぐりんっとこちらに向けられる。
「おじさん、ボクの、頭、知らない?」
その言葉と同時に少年の頭は不自然に傾き……、鈍い音を立てて床に落ちた。息を呑んだ喉がひゅ、と乾いた音を立てる。本当に怖い時って声は出ねぇんだな、と俺はどこかで考えながらバウンドして闇に消えていくガキの頭部を見送った。
「何か声が聞こえる」
五ェ門の声に我に返った俺は少年の立っていた場所に視線を落としたが、そこには何の跡形もなかった。まぁ首のないガキが立っていても嫌だけど! 俺は五ェ門の方を振り返り、般若の面を視界に入れないようにしながら彼に問うた。
「い、今、ガキがいたよな?」
五ェ門はしっと人差し指を顔の前で立てるとゆっくりと周囲を見回し始める。
「子供なぞ見えなかったぞ。それより次元、聞こえぬか、何か……」
つられて耳をそばだてると、どこかから男とも女ともいえない「テン…ソウ…メツ…」と繰り返す声が近づいてくる。あまりに気味が悪いその声に俺は冷たい汗がこめかみを滑り落ちるのを感じた。
「おいルパン、なんかやべぇぞ……」
二、三歩先を行くルパンの背中に声をかけると、聞こえたのか聞こえなかったのかルパンは立ち止まった。
「あんれ~? あんなところに人が立ってら。……なんだぁ? 踊ってやがる」
その言葉と、ルパンの見ている闇の向こうにぼうっと浮かび上がりクネクネと蠢いている白い影を視界の端に認めた俺はゾッとした。なぜかなんて解らないが、アレを直視してはいけないと思った。
「ルパン、見るなっ」
叫んだが一瞬遅く、ルパンは暗視ゴーグルをかけ――、ソレを見てしまったらしかった。ゴーグルに添えられていた両手がだらんと力なく垂れ下がる。
「ル、――」
呼びかけようとしたが声が続かなかった。ルパンは狂ったように笑い出し、クネクネと身をくねらせて奇妙な踊りを始めたのだ。俺は呆然とそれを眺めた。多分、あの白い影も同じ動きをしているんだろう、なんて考えてしまって俺は身震いした。
「五ェ門っ」
ボスであるルパンがこのざまじゃ仕事になんねぇ、いったん退却だとつぶやきながら五ェ門の方に向き直った俺だが、虚ろに空を見ている(らしい)彼を見て固まってしまう。微妙に体を揺すりながら何か言っているのに気付いた俺はさすがに泣きそうになった。
「はいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた」
俺は怖くて収縮しっぱなしの筋肉を無理やりに動かすと五ェ門の般若の面を引っぺがした。が、すぐにそれを後悔した。いきなり面をとったというのに五ェ門は驚きもせず、虚ろな目でひたすらつぶやき続けているのだ。これはあれだ、キ○ガイの顔ですわ。
「くそっ、二人抱えて脱出しなきゃなんねぇのかっ」
吐き捨てて顔を上げると、その目の前に女の顔が現れて俺は腰を抜かした。長い黒髪を垂らした女の顔は土気色で――何より俺を怯えさせたのはその眼だった。目、というか、目のあるべきところにぽっかりと真っ暗な穴が開いている。女の体がゆらりと動くのを見た俺は反射的に銃を構え、立て続けに引き金を引いた。
「こんなこともあろうかと特別に誂えた銀の弾丸だ、効いただろッ」
女の胸に風穴があいたのを確かめ俺は叫ぶ。だが次の瞬間その穴が気味の悪い収縮をしながらふさがっていくのを見て口をつぐんだ。女はギギギと音がしそうなくらいぎこちなく首をかしげ、床にへたり込んだままの俺にゆっくりと近づいてくる。俺は慌てて空になったシリンダーに弾を装填しようとしたが手が震えてうまくいかない。
俺は思わず助けを求めようと傍らの五ェ門を見たが――、変わらず虚ろな目で空中を見ながらつぶやき続けている。背後ではルパンが狂ったようにクネクネダンスに興じていて俺は絶望せざるを得なかった。やっぱり幽霊って本当にいたんだ、信じなかった俺が悪かった……!
「なにやってんの?」
金属をすり合わせたかのような不快な声に視線を戻すと、女は俺の鼻先に自分の鼻が触れるほど接近してきていた。真っ黒な眼窩が俺の目を覗き込んでくる。
「ちくしょう、ルパンファミリーもこれで最期か……っ」
覚悟を決め、歯を食い縛り目を閉じようとした、その時だった。
「破ぁーーーーーッッ!!!!!」
野太い叫び声とともに真っ白な閃光が俺たちを包み込んだ。何が起こったのかわからず俺は一瞬パニックに陥りそうになったが、それでも何とか持ちこたえ手で光を遮りながらあたりを見回した。
「ぐ、ぐぐ……っ」
苦悶の表情を浮かべ、五ェ門が呻いている。光に押し出されるかのように黒い靄のようなものが彼の体から浮き出てきた。固く目を閉じたまま呻くたび、ズズッと音を立てて五ェ門の体表から黒靄が押し出される。頑張れ、五ェ門――思わずそう叫んだ時、ひときわまばゆい光がこちらに向けられ、五ェ門がカッと目を見開いたと同時に靄は離散した。
「せ、拙者は何を……」
正気に戻ったらしい五ェ門のつぶやきにほっと息をついた瞬間、まただみ声の怒号が響き渡り、光源と思わしき方向から銀色の輪が回転しながら飛んできて俺は思わず首をすくめた。
銀色の輪は俺たちの頭上をまっすぐに通り過ぎ、ルパンの後頭部に嫌な音を立ててめり込んだ。ぐぇ、とカエルの潰れたような声を上げ動きを止めたルパンの背後で銀色の輪は回転を止めず跳ね上がり、――その時初めて俺はそれが二つの金属製の輪が細い鎖でつながれたものだと理解した――ルパンの頭上で煌めくといきなり重力のことを思い出したかのように真っ直ぐに落下し、前のめりに倒れかけているルパンの手元でガチャンと冷たい音を立てた。
「まさか……!」
ギョッとして振り返ると至近距離にまだ女が立っていて不本意ながら俺は悲鳴を上げてしまう。と、その女の体を突き破るようにベージュのコートの男が走り込んでくる。女はえ?という顔をして自分の胸元から突然生えてきた男と俺の顔を交互に見た。ちょ、こっち見んな。
「お前ら神妙にお縄につけぇーい!」
男は高笑いするとそう叫び、右手を振り上げる。その手が女の顔をすり抜けた瞬間。
「イタッ」
女は顔をゆがませて掻き消えた。まったく気づく様子のない男、銭形を見て俺は女に微かな同情を覚えさえした。
縄付きの手錠で数珠つなぎにされた俺たちは、銭形に引っ張られるように階段を下りた。
「結局お宝は手に入らずか」
ぼやくルパンに銭形はキリキリ歩けと言い、縄をぐいと引くもんだから俺たちは前のめりによろける。
「――しかし銭形殿が除霊まで心得ていたとは」
五ェ門の言葉に銭形は振り返る。
「ハァ? なーにを言っとるんだお前」
まだ何か企んどるんじゃないだろーな、と銭形は鋭い目つきで俺たちを睨み付ける。
「だがしかし、銭形殿の喝で光がはじけ、奇怪なものどもが霧散したのだ」
うろたえたように言う五ェ門に銭形はきょとんとした。一階の受付の前を通り、エントランスを抜けるとゲートの前に護送車が停まっているのが見えた。
「喝? 俺はいつものように逮捕だーーーっと言っただけだ」
混乱のさなかにいた俺たちにはその叫びの言葉尻しか捉えられず、あたかも『破ぁーッ』と喝が放たれたように聞こえたってわけか。俺はそう理解し、がっくりと肩を落とした。……でも待てよ、じゃぁあの光は何だったんだ? 五ェ門に憑りついた黒い靄を浄化したあのまぶしい光を思い出す。と、銭形の後ろを何か機材を押しながら突撃隊の隊員が通り抜けた。
「警部ー、サーチライト撤収しますねー」
ゴロゴロと押される台車の上に乗った大仰なライトを見て合点がいった俺は歯ぎしりした。一瞬でも五ェ門と同じように銭形が化け物を祓う力を持っているのかと思ってしまった自分が悔しかった。
「でも銭さん、アンタあれを見なかったのか?」
俺は女の霊を思い出して銭形に尋ねる。
「あれったぁなんだ、あそこにはお前らしかいなかったぞ」
「じゃぁなんか変な感じしなかったか、寒気がするような、震えっちまうような」
銭形はいぶかしげな表情でかぶりを振った。だが一拍おいてニカッと白い歯を見せて笑う。
「そうだな、今夜こそお前らを逮捕できると思ったら昂ぶりで震えたな」
達成感のせいかその笑顔はこれまでに見たことがないくらい爽やかで――。
とっつあんってスゲェ……その時初めてそう思った。
護送車に乗せられる前に銭形は俺たちに入念な身体検査を実施し、銃や斬鉄剣はもちろんルパンの包帯も俺のマントやフェイクの牙も、五ェ門の般若の面すら没収された。ルパンは銭形に体をまさぐられて変な声を出し、銭形の拳骨を頂戴していた。というか頼むから体をくねらせないでくれ。狂気のクネクネダンスを思い出しちまう。
疲れ果てて護送車に乗り込もうとした俺たちを、何か思い出したように銭形が呼び止めた。
「おい、お前ら、ちょっと手を出してみろ」
「なぁによ、とっつあん。今体の隅々まで調べたじゃなぁい? 俺たち何にも持ってやしねぇよ」
「いいから。ほら、早く出せ」
手錠がしっかりと掛けられているかチェックするつもりなのか、と俺たちは渋々手を突き出した。六つ集まった掌の上に、銭形は自分の拳を差し出す。なんなんだ、一体。不思議に思っていると開いた銭形の手からばらばらと何かが落ちてきた。
俺たちは額を突き合せて手の中のものを見る。それは色とりどりの包み紙に包まれた飴玉だった。
「これは……いったい何なのだ、銭形殿」
理解しかねる、といった顔で五ェ門が言うと銭形はわずかに胸を逸らせた。
「今日はハロウィンとかいう日らしいからな。去年は知らなかったから妙な格好で現れたルパン、お前をフツーに迎え撃ったわけだが」
俺はギョッとしてルパンを見た。俺と五ェ門が断ったせいで『ハロウィンコスでとっつぁんにお菓子をもらいに行こう!』計画は立ち消えになったとばかり思っていたのに……! この野郎一人で決行してたのか! なぜか裏切られたような気持になっていらだつ俺を意にも介さずルパンは銭形の方を見つめていた。
「今年は何やらそういうイベントがあるとわかっていたからな。俺からは Taiho and Treat ってやつだ」
「だれうまーーーー!!」
「とっつあん……っ」
俺の突込みと同時にルパンが感極まった声を出した。見ればルパンの目はキラキラと潤み、頬は紅潮していてまるで恋する乙女そのものだ。俺は苦い気持ちでそれを眺めた。これで銭形に構われたい熱が高まったルパンは脱獄する日を先延ばしにするだろう。しばらくは俺にとっては楽しくもない牢獄生活ってわけだ。
「銭形殿……」
五ェ門の声に振り返ると、なんてこった、こいつまで飴玉を握りしめ尊敬の念すら感じ取れるような目で銭形を見ている。
「五ェ門までほだされてんじゃねぇ!!」
怒鳴りつつも、『とっつあんは凄い。』俺は改めてそう思った。