ただの思い付きだった

「銭形ってさぁ、どんなセックスすんのかな」
「はぁ!?」

次元の素っ頓狂な声に俺は自分の失言を悟った。
生ゴミでも見るかのような相棒の視線をチクチク受けながら、ぎこちなく取り繕いの笑みを浮かべる。
「……いや、あのね、仕事の時の話なんだけっども」
「あぁん?」
ますます怪訝な顔になる次元の視線を避けるように俺はソファの背もたれに体を埋めた。
「銭さんとの攻防戦は楽しいけど、盗み自体は邪魔されたくない時ってのがあるだろ? 今までいろいろ足止めの方法を試してみたけどさぁ、オンナを使うっていうのしたことねぇなって」
ちら、と次元を見ると幾分和らいだ表情で話を聞いている。彼なりに、さっきの俺の発言の妥当性を模索し始めたようだ。
「で、銭さんを確実に足止めできるような女……って考えた時に、俺っちあの人の好みなんてなぁ~んにも知らねぇってことに思い当たっちまってさ、あんなんかな? こんなんかな~って色々考えてたらついついそれ以上のことも気になっちゃった」
ふーん、と気のない返事をした次元はしかし、磨いていたマグナムをテーブルに置いてこちらに身を乗り出してきた。
「銭さんの好みの女か、興味深い話だが色仕掛けが効くような相手かな」
「さぁどうデショ? でもとっつあんだって立派なオトコだぜ?」
実際に俺は何度かあの人がきれいな女の人の傍らで嬉しげにしているところを見ている。
それはもう、俺には見せたことのないような柔和な笑顔で――、声は聞こえる距離ではなかったけれど、もちろん俺の名を叫ぶ時のような銅鑼声ではないだろう。これまた楽しげに何か言う女に時折顔を赤くして答えたりして……
そこまで思い出して俺はなんだか胃のあたりがむかむかして考えるのをやめた。



ヤツの存在は、今まで順調に行き過ぎて退屈ささえ感じていた仕事に大きな変調をもたらした。どうやってヤツを出し抜こうかと考える時、実際に対峙した時、追いかけてくる足音を聞き、殺気を感じる時、どうしようもなくワクワクとした興奮を覚えるようになった。
けれど仕事モードを離れた時にヤツのことを思うと――、そして思い出している自分に気付くと、なんだか鳩尾のあたりがむずむずするような、イライラするような不思議な感覚に見舞われる。
俺はそんな自分に戸惑ったが、今までは存在しなかった自分と対等な立場の「ライバル」というものがひょっこり現れたせいで今まで自分が持っていなかった感情が生まれ、それを整理しきれないのだ、と分析していた。



煙草を喫おうとポケットに入れた指先が小さくて固いものに触れる。俺はそれを取り出すとニヤリと次元に笑って見せた。
「わかんなきゃ本人に聞きゃいいじゃ~ん。ほらこれ、とっつあんの部屋に仕込んでさ」
次元は俺の指に挟まれているものを見て眉をひそめた。
「盗聴器? ……あんなおっさんのプライベート盗み聞きたかねぇな、それこそ女連れ込んだりしてたらどうすんだよ」
俺は目を丸くした。俺としてはヤツのプライベートを窺い知ることで好みの女を推測し、ついでに何か弱みになるようなことを握れたら儲けモン程度のことを考えていたのだ。そう告げると相棒はますます苦い表情になった。
「やめとけよルパン、面白半分に他人の私生活を盗聴するなんて悪趣味すぎるぞお前さん」
さすが相棒、「仕事のための予備知識として好みを知りたい」とか「弱みを握れたらラッキー」なんてのはただの口実にしか過ぎず、俺が単なる子供じみた好奇心によってこの思い付きを実行しようとしていることが分かったようだった。
「間違って銭さんの睦言なんて聞いちまった日にゃあ気分が悪くなること請け合いなしだぜ」
「お前も大概下世話な想像してるじゃぁないの。あの堅物がどんなセックスするかなんて俺ァ考えもつかないわぁ……録れたらお前にも聞かせてやろっか?」
ニヤニヤ笑いながら言う俺に次元はため息を吐くと帽子を深く被り直しそっぽを向いた。
「勝手にしろ。……俺は止めとけって忠告したからな」



あの時、相棒の忠告をきちんと聞いていれば、それに従っていれば。
俺はあんな恐ろしいものを聞かずに済んだのだ。
けれど俺はあの時の自分の思い付きがこの上なく面白いアイディアのように思えていて、実行に躊躇うことさえなかった。
思えばあの時から俺は――すでにイカレてしまっていたのかもしれない。



思い立ったが吉日とばかりにさっそく銭形の家に忍び込み盗聴器を仕掛けた俺だが、一週間もヤツのプライベートを盗み聞いてすぐに飽きてきた。
なにしろ全く変わり映えのない毎日を送っているのだ。
毎朝決まった時間に起き、朝食を摂り、定時に出かけ、――帰宅時間は多少の変動はあるものの、もそもそと晩飯をかきこむ気配の後入浴し、就寝する。変わるところと言えば晩飯のメニューくらいで――、それすら音から推測したところ、惣菜弁当かカップラーメンかという侘しいものだった。

「何が楽しくて生きてるんだろうな、とっつあんって」
ここ数日聞いていた銭形の生活に思いを馳せて俺は思わずつぶやく。連れ込む女どころか訪ねてくる友人すらいないのだ。それとも、面白おかしく悪党生活を送る俺が知らないだけで、一般市民の生活はこんなものなんだろうか。
俺の言葉に次元は咎めるような視線を送ってきたが、俺は気付かないふりをした。
「お前の専任を降りれば銭さんも人並みに楽しい生活送れるんじゃねぇの」
「それはダメ!」
投げやりに言う次元に俺は自分でも驚くくらい大きな声で反論した。
「とっつあん以外の警官に俺を追っかけられるわけないデショ!? スリルもないつまんない仕事するのヤダっ」
駄々っ子のように言う俺を見て次元は何か言いかけたが一瞬迷ったように口を噤み、また思い直して口を開いた。
「ま、悪趣味な悪戯もほどほどにしておけよ」



俺は相棒の忠告をまた無視した。
実のところ、銭形の生活はうんざりするほど単調で面白みのないものだったが、一つだけ俺の興味を強く惹くものがあったのだ。
それは、銭形が寝床に入る前に行う儀式めいた独り言だった。

ルパン、と自分の名前を枕詞にして、
ある夜は『次は何を狙っているんだ』、
また別の夜は『必ずお前を捕まえてやるからな』、
はたまた満月の夜に『アジトさえつかめれば俺の勝ちだ』

などと、時に憎らしげに、時に愉しげに紡がれる言葉を聞くと、なぜか俺は不思議に愉快な気持ちになれた。唯一宿敵だと認めた相手が、毎日自分打倒の誓いを口にして眠りにつく。その誓いも虚しく、彼の手を掻い潜る自分。そのことは俺に、誇らしげというか満たされるというか、なんだかわからないけれどむずむずするような妙な充足感をもたらした。

俺はその時点で満足すべきだった――。相棒曰く「悪趣味な悪戯」をこの時にやめていれば、あれからずっと続く気が狂いそうな焦燥に身を灼くこともなかったのかもしれない。



それはある仕事が終わった夜のことだった。
しつこい追手を紙一重のところで撒いて首尾よくお宝を手に入れた俺たちは上機嫌でアジトへ戻ってきた。
宝石を肴に酒を楽しんでいた俺は、ふと銭形は今頃どうしているだろうか、と気になった。
「そろそろ俺寝るわ。……お前ら適当に楽しんでて」
鼻歌を歌いながらグラスと酒瓶の一つを手に取り、俺はいそいそと自分の部屋に戻った。この時の自分の気持ちが下世話なものだったことは否定しない。自分を取り逃がした銭形の、臍を噛んで悔しがる様子を肴に呑む酒はさぞ旨かろう、なんて思ったのだ。
俺はヘッドボードに置いたグラスに酒を注ぎながら、受信機のスイッチを入れた。

一人でヤケ酒でもしてるかな、という予想に反して銭形はちょうど帰宅したところのようだった。
『うぅ~~~』
心なしかふわふわした唸り声と共にガタガタと体をどこかにぶつけるような音がして、俺は銭形がどこか外で酒を飲んで帰ったのだと見当をつけた。哀れなもんだ、と上がりかけた口角は、次に受信機から漏れてきた声に凍りついた。
『大丈夫ですか、警部。……飲み過ぎですよ』
俺の知らない、男の声。
『おぅ、すまねぇな、送らせちまって』
バタバタと靴を脱ぐような気配。それも、二人分。衣擦れの音と、靴下を履いた足が床を踏む柔らかい足音を聞いて俺は言いようもなく不愉快な気持ちになった。
ドサリ、と畳に腰をおろしたような音の後、もう一人の足音が台所に向かう。
『とりあえず、水飲んでください』
ガラスのぶつかる軽く硬質な音に続く、コポコポと注がれる水の音。聴きたいような聞きたくないような複雑な心境になる俺に構わず、銭形の部屋に仕掛けた高性能盗聴器はその様子を克明に俺に伝えた。
『どうぞ、……ってああっ警部、こぼさないで下さいよっ』
パタ、パタと水滴が畳に落ちる音を聞いて俺の脳裏に酔いで赤くなった銭形の顔と、あのぽってりとした唇から水がこぼれるさまが浮かび、そんなことを想像した自分にぎょっとする。
『はは、スマンスマン』
普段の銭形からは想像もつかないふにゃふにゃとした声音に聞き耳を立てる。しばらくの沈黙の後、ネクタイを襟元から引き抜くしゅっという衣擦れの音がして銭形が口を開いた。
『……すまんな、またルパンを捕まえられなかった』
『警部……』
打って変わって沈痛な銭形の声に俺の心は痛んだ。彼にこんな声を出させているのは他でもない俺自身なのだが、すっ飛んでいって慰めたくなるような哀しい声だった。
『お前らも、俺みたいに自分勝手で無能な上司の下で苦労を掛けるなァ』
自嘲の響きを含んだその言葉に俺は眉根を寄せた。
確かに彼は何度も俺を取り逃がしている。だがそれは銭形が無能だからなのではなく、俺が圧倒的に天才だからだ。宿敵と認めた相手がこんな自嘲をするようでは困る。そう思っていると、ガタッと何かが卓袱台にぶつかるような音とコップが倒れる音、体と体がぶつかる時特有の鈍い音がした。
『そんなこと言わないでください。ルパンを追い詰めることが出来るのは、銭形警部、あなたしかいない――私は、いえ、我々はそう思っております』
震える男の声を聞いて俺は全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
『私の方こそ、警部のお役に立てず申し訳ないと思っています』
『……お前は隊長としてよくやってくれとる』
銭形のくぐもった声に、男が彼を抱きしめたのかもしれない、と思い当って俺の逆流した血液は体中を暴れ回った。間違いない、この男は銭形に懸想しているのだ。銭形はどうだかしらないが、男の方は確実に上司と部下以上の関係を求めている。
「オフィスラブならぬポリスラブってか? 警察も腐ってンな」
茶化すつもりでつぶやいた自分の声が思いのほか刺々しいものだったことに戸惑いながら、俺はグラスの中の琥珀色を飲み干した。



『……帰ります』
これ以上は理性がヤバい、という男の呟きは銭形の耳には届かなかったようだが高性能盗聴器はしっかりとそれを拾っていた。
「帰れ帰れ」
俺は唇をとがらせて届くわけもない念を送る。これ以上、コイツが銭形の部屋に滞在し続けると俺の理性もヤバい。
この苛立ちは多分、これまで誰も招き入れられることのなかった銭形の部屋を、盗み聞きをすることで勝手に彼のプライベートを共有した気になっていた俺の独りよがりな楽しい気分や優越感をぶち壊されたせいだ。
次に会った時はぶっ殺す。……のはダメだから、死ぬほどの苦痛を味あわせてやる。確か、隊長って言ってたな。そう思って、いつも銭形の金魚のフンのようについてくる突撃隊員の顔を思い出そうとしたが、奴らが無個性なせいか頭に浮かぶのは銭形の姿ばかりで――。俺ってとっつあんしか目に入ってなかったのね、と呟いて自分の言葉に俺は一人赤面した。

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