Somewhere over the rainbow

FGTH

それは、完璧な一目惚れだった。

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いつもと変わらない、週末の夜。
馴染みの店、いつもの酒、見慣れた常連の顔。アルコールが回り、多少ハイになった気分で騒いでいても、俺は内心退屈し切っていた。夜遊びを覚え始めた頃は刺激的だったこの店も、慣れ切ってしまった今となっては少々物足りない。居心地がいいのは何よりなんだけどな、と浅いため息を漏らした俺に体格のいい女が近づいてきた。
「ハァイ、ポール。なんだかとっても退屈そうね」
人込みを掻き分け寄ってきた彼女は片手にビールジョッキを、片手にはブルネットの見事な美女を抱えていた。
「よぉアン、そういうアンタはゴキゲンそうだな」
そう返してグラスをわずかに持ち上げるとアンは豪快に笑いガツンとジョッキをぶつけてきた。衝撃に酒が零れて手にかかる。相変わらず加減を知らない女だ。
「そりゃそうでしょ、今夜はこんな上等なコがあたしのパートナーなんだもの」
ごくごくと喉を鳴らしビールを飲み干したアンが言うと、彼女の傍らのブルネットはポッと頬を染めアンの逞しい胸に頭を凭れかけた。
「そりゃ羨ましいこった」
「アンタもさっさと相手見つけなよ、夜は短いんだからさ。――ほらあの壁際の男、こっち見てるわよ?」
顎をしゃくるアンの目線を追ってそれを見た俺は肩をすくめた。
「あいつとは先々週寝たよ」
「あらそう」


――刺激が足りない。


俺の中で声がする。実際、まったくもって、ここには俺を満足させるに足る刺激がないのだ。
「あいつも、あいつも、――それからあそこにいるあの男も」
目線だけで指し示すとアンは律儀にそれを追い、俺の顔を再度見て顔をしかめて言った。
「ヤッちゃった?」
こくんと頷くとアンは傍らのブルネットと顔を見合わせた。
「呆れた節操なしね」
「そんなんじゃないよ」
「だってステディな関係を持つ気はないんでしょう」
「そんな相手に巡り合ってないだけさ」
「……男ってバカみたいね。アンタが特別バカなの?」
あまりの暴言に片眉をあげてアンを見ると見せつけるようにブルネットの腰をぐっと引き寄せた。
「いつか運命の相手が魔法のように目の前に現れると夢見てるのね、ポール」
思ってもみない言葉に俺は何も言い返せなかった。
「でも一回寝たくらいでこれは違う、って判断するのは気が早いんじゃない? 最初はピンと来なくても――」
俺に向けて言いながら、アンはブルネットの鼻の頭に啄むようなキスをした。くすぐったそうに微笑みながらブルネットはアンを見上げる。ねっとり絡み合う視線。
「おいおい俺の前でいちゃつくのはやめてくれよ、吐きそうだ」
半分ジョーク、半分本気で言うとアンはくわっと目を見開いて俺を睨み付けた。恐い。思わず半歩後ずさった俺を見てアンは何か気が付いたような顔になった。
「そういえば今夜は彼が来るわよ」
女のハナシには脈略というものが全くない。まぁ別にいいんだけれど。
「誰?」
「ホリー。知ってるでしょ? 彼、今夜此処で歌うらしいの」
――ああ、名前だけは聞いたことがある。これでも俺も音楽やってるからな。なんかすごいすごいって噂は耳にしてるが、俺は彼のバンドの音もパフォーマンスも知らなかった。自分と同じく音楽をやってる、同世代のやつ。一部では自分たちより高い評価を受けている――そんな相手に勝手に面白くない気持ちを持ってたのかもしれない。
そんなことを思い浮かべてますますつまらない気分になり酒を啜っていると、ふと店の照明が落ちた。

「ほら、来たわ――ホリーよ」

囁くようなアンの声を聞くまでもなく、俺はステージに釘付けになった。
薄暗い店の中でスポットライトの中に浮かび上がる彼は、ドクターコートを羽織り、銀の仮面で顔の上半分を覆い隠すという多少奇抜な格好で――といってもこの辺りで音楽やってる若い奴らからすれば大人しいくらいの衣装である――、まるで滑稽、そう、滑稽なほど美しかった。
フロアの照明が落ち、演者がステージに上がってもここはライブハウスなどではないので客の大部分は各々それまでと変わらず雑談やハントに勤しんでいる。そんなざわめきにも臆した様子はなく、ホリーはゆったりと辺りを見回すと口元に淡い笑みを携えて優雅な仕草で一礼した。どくんと心臓が鳴り、俺は突き動かされるように人を掻き分けてステージに近づいていく。
俺がステージ前に到達する少し前にホリーは静かに歌い始めた。それはいかがわしい店には少々不似合いな、誰もがよく知る美しいメロディだった。お伽噺の中の、穢れを知らない少女が歌う、あの歌だ。

”――どこかはるかかなた、虹の向こう
子守唄で聴いた国がある
はるかかなた、虹の向こうの空は青く
信じていた夢がかなう場所がある

悲しみはレモンキャンディのように溶けてなくなり
煙突よりずっと上であなたは私を見つけるでしょう

どこかはるかかなた、虹の向こう
あなたが夢見ることが、かなう場所――”

けれど。彼を通して聴くその歌は全く別のもののようだった。
清らかでいて、そのくせ滲み出る淫靡な響き。背後の喧騒が一気に遠ざかる。気がつけば彼のパフォーマンスが創り上げる世界に飲み込まれている自分がいた。彼の一挙手一投足も、息遣いの一つも見逃したくない、聞き逃したくない。
ステージ前には彼のファンらしい男女が数人立っていた。ホリーは歌いながら車のボンネットに横たわり(なぜかこの店のステージには車が設置されている)、観客を誘うかのようにこちらに手を差し伸べる。ファンのやつらは興奮を隠しきれない様子で手を伸ばし、あまつさえホリーの指先に触れては感極まったため息を漏らしている。

その手が自分に向けられた時、俺は。
同じように手を差し出そうとしている自分に気付き、ぐ、と拳を握って堪えた。パフォーマーとしての圧倒的な差を見せつけられたが故の意地だったのか、他の奴らと同じように見られたくないという気持ちだったのかは解らない。ホリーはそんな俺の反応にほんの一瞬だけ目を丸くし、くすりと笑う。
仮面の奥の眼が俺を射抜いたその瞬間、脳天にガツンと衝撃が走った。

そう、それは、パーフェクトな一目惚れだった。
探し求めた運命の相手。それが今夜、魔法のように目の前に現れたのだ。頬が熱いのはアルコールのせいだけじゃない。
ホリーが歌い終わってステージを降り、弱弱しい明りがフロアに戻っても俺はしばらく夢の中にいるかのようなふわふわした心地に浸っていた。だがそんなことに浸っている場合じゃない、とすぐに我に返る。慌てて辺りを見回すと、先ほどステージの前に陣取っていた男女が団子のように固まって立っているのを見つけた。逸る気持ちを抑えながら、あえてゆっくりと近づくと案の定その輪の中心に彼――ホリーが立っていた。目の前の男を強引に押しのけ彼の肩を叩く。振り返った彼は既に仮面を取っていて、素顔を間近で見た俺の心臓がまた高鳴る。

「ハイ、俺はポール。今夜の歌、すごく良かったよ」
怪訝な表情で俺を見る(後々解るのだが、彼には時々こういう眩しそうな顔で人を見る癖がある――そこがたまらなく魅力的なのだが)ホリーにドギマギしながら言った。
「ああ」
パッと人懐っこい笑みがこぼれる。
「ありがとう」
ステージ上とは打って変わって年相応の表情と仕草を見せるホリーに毒気を抜かれる俺だったが、ますます彼に興味が湧いた。
「俺もバンドやってるんだ。……二人で話せないかな? 一杯奢るよ」
バーカウンターを指し示して見せるとホリーは一瞬考え込んだのち頷いた。
「いいよ」
やりとりを見ていた取り巻き連中からブーイングの声が上がる。それを聞き、俺は何となく勝ち誇った気分になってホリーの肩を抱いた。



「もっと聴きたかったな」
ぽつりと呟くとホリーは俺を見上げた。
「ホリーの歌」
言うとホリーはグラスに視線を落としてフフッと笑った。
「口説いてる?」
「んー……そうじゃなくて、マジで、ちょっと衝撃だったから……。率直に、アンタの歌もっと聴きたいって思った」
マスターにお代わりを要求して俺はホリーに向き直る。
「もちろん口説きたい気持ちもある!!」
拳でテーブルを叩きぐいとホリーに顔を寄せるとやんわりと押し返された。
「呑み過ぎだよ」
「悪い?」
「悪くないけど。――じゃぁさ、一緒に演ってみる?」
「え?」
一気に酔いが醒める。悪戯っぽい表情で俺を見上げるホリーを見返す俺の表情は多分間抜けなものだっただろう。
「今のとは別のバンド組もうと思ってるから」
「どうして」
間抜け面で間抜けな問いを返す俺にホリーは真顔になった。
「新しい刺激が欲しくなったから、かな」
ぞくりとするような冷たい眼差しはほんの一瞬で消え、またにっこりと笑う。
「どう?」
「演るよ。やるやる、一緒に演りたい」
一も二もなく俺は頷いた。彼の歌を、彼自身を、もっと知りたい。
「じゃぁこれ、電話番号。また連絡頂戴」
ペーパーナプキンにさらさらと数字の羅列を書いてよこすとホリーはしなやかな動作で立ちあがった。
「今夜は楽しかったよ、ごちそうさま」
身をかがめて耳元で囁かれ、甘ったるい響きに身を竦める。と、向かいの席から歩いてきた男がホリーの肩に手を回した。予想外の展開に呆気にとられる俺を気に留める様子もなく、ホリーはその男と意味ありげな視線を交わし、俺に軽く手を振ると店を出て行ってしまう。
取り残された俺は一人呆然とするしかなかった。
「マジか……」
これまでナンパを断られた経験がない俺は状況を理解するのに時間がかかった。だが手の中のペーパーナプキンの感触に我に返る。
「や、まぁ、これくらい一筋縄じゃいかない相手ってのも面白いもんだよ、な」
我知らず握り締めていたそれを慎重に広げて眺めながら独り言ちる。


刺激的な、運命の相手。


俺は最初からそう思ってたし、今でもそう思ってるよ。
虹の彼方の夢の世界も、青い鳥も。
お前となら見ることができたのに、と思ってる。
ホリー。
別々の道を歩くと決めたあの日から、もうずいぶんと時が経ってしまったけれど。
今でも同じ場所に立って同じ世界を見ることを夢見ている。

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