はじめとまことは双子の兄弟だった。外見こそ似ていたものの、兄のはじめはあまり頭の回転がよくなく、対して弟のまことは聡明な子供だった。周囲の大人は二人を比較して何かと揶揄したが、それでも兄は弟を可愛がり、弟は兄を慕う仲のよい兄弟だった。
「僕たちは同じ卵から分かれて生まれてきたんだよ。お兄ちゃんも僕も同じ人間だよ」
庭先でしゃがみこみ呟くまことの目は真っ赤だった。親戚の集まりの場で酔っ払った叔父さんに「まことは賢いなぁ。それに比べてはじめは本当に出来ない子だ」などと延々くだを巻かれたのだ。
まことの傍らに立つはじめは困ったように頭をかいた。
「だけどおれが馬鹿なのはしょうがないからなぁ」
のんびりと言うはじめにまことは唇を噛んだ。
「お兄ちゃんは馬鹿じゃないよ。僕たちはもともと一人だったんだよ。お兄ちゃんが馬鹿なら僕も馬鹿だ」
風が吹き、庭の桜の枝を揺らした。はらはらと花びらが落ちてくる。はじめは空を仰いだ。春の日差しが桜の花の間を縫って二人に柔らかい影を落とす。
「まことはいい子だな。おれがなんか言われたってお前が泣いたり怒ったりするこたないよ。おれは平気だから」
まことは何か言いたげに兄を見上げたが、はじめの笑顔を見てしぶしぶと言った風情で頷いた。
「さ、もう中に戻ろう。寒くなってきた」
ある夜、はじめはふと寝苦しさを感じて目を覚ました。窓からは月の光が差し込み、部屋全体を青く染めている。時計の秒針が刻む時の音以外は何もしない。静か過ぎるとはじめは思った。二段ベッドの下段で寝ていた彼はそっと上の段を叩く。
「まこと。まこと」
普段なら弟が身動きする気配が返って来るのに、しんとした空気は全く動かなかった。不安になってはじめは布団から抜け出す。背伸びをして上の段を除いてみると布団はもぬけの殻だった。――トイレにでも行ってるのかな。はじめはひんやりとした床の感触に一つ身震いをした。春の夜は、まだ冷たい。
「おれもしっこに行こ」
独り言を言いながらはじめは部屋を出た。階段を下りると廊下の突き当りのガラス戸が開いていることに気づく。いつもなら夜は閉じている遮光カーテンが開かれ、薄いレースのカーテンが微かに揺らめいていた。
「なんだ? お母さん、閉め忘れたのかな?」
はじめはガラス戸を閉めようと歩み寄り、何気なく外に目を向けてギョッとした。
「まこと……!?」
桜の木の下に佇んでいたまことが振り返る。パジャマ姿のままの彼の顔は心なしか青ざめて見えた。はじめは慌てて庭に下りる。
「なにやってんだよ、風邪ひいちゃうよ」
兄の言葉にまことはゆっくりと微笑んだ。空気は冷たいが風はなく、時折桜の花びらが音もなく舞い降りてくる。
「お兄ちゃん。血色の風花って知ってる?」
唐突にまことが言い、はじめは困惑した。
「カザバナ? ……ああ、雪が風で飛ぶやつ。色は白だろー。だって雪だもん」
はらり、はらり。
花びらが落ちてくる。
桜の木の下には屍体が埋まってゐる! と言ったのは誰だったっけ。
まことは体ごとはじめのほうを向いた。自分と同じ顔を持つ兄。その不安げな面持ちの彼の頭に花びらがくっついているのを見てまことは微笑んだ。
「お兄ちゃん、花びら付いてるよ」
「え、どこ?」
自分から目線をはずして頭に手をやる兄に向かってまことは手を伸ばした。ドッと鈍い音がして、はじめはだらしなく口をあけた。
「ここだよ、お兄ちゃん」
はじめは驚いた顔でまことの人差し指に付いた花びらと自分の腹を交互に見た。微笑を浮かべたままのまことの右手には大振りの剪定ばさみが握られていて。
――その先端は、兄の腹に食い込んでいた。
「ねぇ、これで一つに戻れるよ」
まことは静かに言った。愛しい兄を侮辱されるのは耐えがたい苦痛だった。だが何よりもまことを苦しめたのは兄自身がその侮辱を許容してしまっていることだった。
「そりゃ、お兄ちゃんはちょっとドジなところもあるよ。だけど僕と比べて何がそんなに違うの? ねぇ、僕らが一つに戻ればお兄ちゃんを馬鹿にするやつもいなくなるよね?」
歪んだ愛情は身勝手な同化願望になった。まことの一人ごちるような問いかけにはじめの返事はない。ぽたぽたと血が滴り、地面に落ちた花びらを染め始めていた。
まことは緩慢な動作で剪定ばさみを引き抜いた。反射的に傷口を押さえたはじめの指の隙間から鮮血がほとばしる。その瞬間強い風が吹き、桜の枝をしならせ、大量の花びらを巻き上げた。
「――ほら、血色の風花だよ、お兄ちゃん」
ゆっくりと崩れ落ちる兄を見ながら微笑むまことの頬には、彼が愛してやまなかった兄の血と桜の花びらがべっとりと付いていた。血の色の花びらは、さながら雪のように、音もなく月夜を舞う。