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 網膜を焼くようなまばゆい閃光の後、灼熱の塊と化した風が銭形の体を叩いた。
「――――――――ッ!」
呼ぶ声は轟音にかき消され、彼自身の耳にも届かなかった。と、いきなり後ろから体を拘束される。無意識に爆心に向かって走ろうとしていたのだ。無理やり振り切るが、次から次へと部下の腕が銭形の体を押しとどめる。
「警部ッ、これ以上は危険です……ッ!!」
何度目かの爆音が響き、キャメル色のコートの男はへなへなと崩れ落ちた。呆然と見開かれた丸い瞳に、炎と粉塵に包まれたビルが瓦礫と化していくさまが映し出されていた――。

 その後の必死の捜索もむなしく、ルパン一味の消息は掴めなかった。あの爆発から逃れたとは考え難かった――ビルは360度警官隊に包囲されていたのだ。それにあのビルに爆弾が仕掛けられていたことは全くの想定外で、事件の黒幕であるビルの所有者を確保した時に身体検査をおろそかにしてしまった部下を責めることもできなかった。
「それらしき人物を見かけた」程度の情報さえつかめず数か月が経過し、世間で彼の名を聞くこともなくなるにおよび、ついに法的にもルパンたちの死亡が確定し――、ルパン対策本部も解体されることになって銭形は無念さをかみしめていた。
「ルパン、……お前、本当に死んじまったのかよぉ」
何百回、何千回と繰り返したつぶやきに応える者はいなかった。

 逮捕かなわず被疑者死亡で幕引き、という状況に警察機関の多くの人間が銭形の身を案じた。彼がルパン逮捕にどれだけの執念を燃やしてきたかを知る上司たちは銭形が引退してしまうのではないかと、そしてともにルパンを追い続けてきた部下たちは魂の抜けたような彼の精神状態を――心配した。
だがそんな心配をよそに銭形は警官を辞したりはしなかった。慰労のため与えられた休暇さえ早めに切り上げ、新しく配属された部署で淡々とデスクワーク、新人指導、犯罪摘発から道案内まで――雑多な職務をこなしていた。だが決してルパンのことを忘れたわけではなかった。警察を辞めればルパンのことを探るのは難しくなる、休暇で家にいても考えるのはルパンのこと、どうにかして生きて捕まえることが出来なかったのかという後悔の念が押し寄せるばかりで居ても立ってもいられない。ただそれだけが今の銭形を突き動かすすべてだった。

 ――世界中の誰もがお前のことをあきらめても、俺だけは。

 かつての部下もそれぞれ新しい部署に配属され、職務に追われているうちに「ルパン」の存在は現実味を失っていく。彼らが今、日常追っている犯罪はルパン一味が起こした事件に比べれば矮小で――、でもそれが現実であるがゆえにルパンたちのことを幻として記憶の片隅に追いやっていくのだ。そんな状況に苛立ちを感じながら、ともすれば自分も押し流されそうになる。そんな時銭形は自分に言い聞かせるのだった。世界中の誰もがお前のことを忘れても、俺だけは。
その晩も銭形は自宅でルパンに関する書類を眺めながら一人で晩酌をしていた。

 銭形はふと目を覚ました。部屋の空気がやけに冷たい。
「寝ちまったのか」
つぶやくと目をこすりながら立ち上がった。寝ぼけているせいかなんとなく部屋が白くかすんで見えて彼は小首をかしげた。ぶるっと身震いすると窓に歩み寄る。
「窓は……閉まってるな、なんでこんなに寒いんだ?」
ぼやきながら振り返った銭形は言葉を失った。濃いまつ毛に縁どられた眼が限界まで開く。
「ル――」
ルパン、と叫びかけた銭形を、突如部屋に現れた真っ赤なジャケットの男は身振りで制する。その軽妙洒脱な身のこなしに銭形の鼻の奥がツンとなる。
「い、生きてたのか、お前っ……」
震える声が二人の間に落ちる。言葉に言い表しがたい感情をむき出しにする銭形とは裏腹に、ルパンと思しき男の表情は硬かった。それに気づき、銭形も真顔になる。痛いほどの沈黙の後、先に動いたのはルパンだった。猫背気味に立ち尽くす銭形にゆっくりと歩み寄り、その手を取る。銭形はギョッとして男の顔を見上げた。

「俺を恨んでるんだろう、ルパン。憑り殺しにきたってわけか」
彼の死を認めたくはなかったが、そんな銭形の強情をもってしても生気が感じられないほどルパンの手は冷たくて。がっくりと肩を落としてつぶやいた銭形を見て初めてルパンは笑った。
「ユーレイだったら触れないでしょ? これはね、とっつぁんの夢なのよ」
「ゆ、夢……?」
目を瞬かせる銭形を見てルパンはまた笑う。そうだよ、とひんやりと冷たい頬を寄せて銭形に囁く。とっつぁんはむざむざ俺を殺しちまったことに自責の念を感じてるんデショ? 生かして捕まえられなかったことを償いたいと思ってる。だから俺っちを自分の夢に登場させたってワケ。
澱むことなく繰り出されるルパンの言葉は銭形の心を抉った。
「確かにお前を生きて捕まえ法の裁きを受けさせたいと思っていた、だがお互い命をはって仕事をしてきたんだろう、俺が死のうとお前が死のうと償いなんて……」
銭形の言葉はルパンの唇によってさえぎられた。その行為と奪われる体温に銭形の体は硬直する。抗議しようと開いた唇に氷のように冷たい舌が割り込んでくる。銭形はその感触に身震いした。

 逃れようと縮こまる銭形の舌をルパンは執拗に追う。抵抗もむなしく捉えられ、絡められる。う、という呻き声を聞きながらルパンは銭形の口内を思う存分蹂躙した。
気が遠くなるような口づけの後、ルパンが身を引いたのを確かめて銭形は乱暴に口を拭う。
「そりゃないだろとっつぁん、さすがの俺も傷つくぜぇ?」
軽口をたたくルパンを睨み返す目元はほんのりと紅い。俺ぁ死姦の趣味はねぇぞ、吐き捨てた銭形の腕をルパンは強くつかんだ。その眼は冷酷な光で満ちていて、銭形は柄にもなく恐怖を感じた。
「言ったデショ、これは夢なの。とっつぁんが望みさえすれば俺は体温を持ったアンタの可愛いルパンになれるの。……認めちまいなよ、本当は俺に償いたいと思ってる、で、俺にとってのアンタの償いはアンタが俺の思い通りになることなんだヨ?」
その手が銭形の首に巻きつき、ぎりぎりと力が加えられていく。銭形は苦痛で顔をゆがめた。かすむ視界に映るルパンの全身からナイフのような殺気が立ち昇るのを感じ、銭形はその手にかけた自分の手をゆっくりとおろした。

「いいぜ、俺を殺せばいい。どうせ夢だ、お前の気が済むまで何度でも」
戸惑ったように力の緩んだ隙に、絞り出すように告げる。ルパンは驚いた顔をして銭形の首から手を放した。
「ばっ」
かじゃね~の!? 呆れたような、怒ったような声とともにルパンは銭形を抱きすくめる。とっつぁんを殺して何になんのよ、ンなことこちとら望んでねーよ、ブツブツ言うルパンの背中に銭形は恐る恐る腕を回した。壊れ物に触れるようにそっとジャケットの生地を指先でなぞる。
「俺の望みはとっつぁん、アンタの身も心も俺の手で滅茶苦茶にしてやること」
ルパンは銭形の肩に顔をうずめて笑った。
「アンタの体にも心にも俺の傷跡をいっぱい拵えて、アンタが俺のこと絶対に忘れられないようにすること」
言葉の真意を測りかねて押し黙る銭形に焦れたように、ルパンはその首筋に歯を立てた。

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