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 美弥の言う『お洒落なカフェ』に向かって歩きながら俺はじりじりと肌を焼く陽光に目を眇めた。汗が出始める前に店に着くように願う。夏休みと言うこともあって平日の昼間でも人通りは多い。俺は普段こんなに人の多い場所を出歩かないので、人にぶつからないよう細心の注意を払いながら歩かなければならなかった。一方美弥はというと器用に人の間を縫ってすいすいと歩いていく。はぐれないようについて行こう。

 横断歩道の手前で立ち止まった俺たちは信号が変わるのを待ちながら言葉少なに会話を交わした。
「ぅあー。暑いなぁ」
「夏だからね」
「身も蓋もねーな」
「でも映画館寒いくらいだったから今は丁度いいかも」
美弥の言葉に体が硬直する。

 うん、解ってはいたんだあの映画館できっと俺だけが蒸し暑くて気分悪いって感じてるんだろうなって、だけどこんな不意打ちでそれを思い知らせるのはナシだろ神様バカバカバカ。
心の中で毒づいてみたものの、体の緊張は解けず横断歩道の信号が青に変わり周りの人が歩き出したのに気づくのが一瞬遅れた。二、三歩先を行く美弥が振り返る。
「あきら? 青だよ?」
その声に俺は曖昧な返事を返し歩き出した。怪訝な顔の美弥に追いついて。
「ははは、ボーっとしてた」
「気をつけてよー、人多いんだから。迷子になったら置いていくからね」
「子供かよ」
軽口を叩きあいながら横断歩道を渡りきり、狭い路地に入る。少し人が途切れて俺はほっと息をついた。

 その時向かいから歩いてきた男の肩が俺の肩にぶつかった。避けるスペースがあるのに何だよと思ったけれど、まぁそれはお互い様だし仕方ない。俺は軽く会釈してそのまま歩き続けようとした。けれど相手はそれじゃ納得いかなかったらしい。
「待てよ。人にぶつかっといて詫びもなしかぁ?」
グイッと肩を押される。あー。面倒くさいのに捕まっちゃったな。俺は男と目が合わないようにしながら相手をこっそり観察した。汚く脱色された金髪。浅黒い肌。剃り過ぎだろってくらい整えられた眉毛に無精ひげ。安っぽい金メッキチェーンのネックレス。派手なアロハシャツにビンテージっぽいジーンズ。すごく……典型的な一昔前のヤンキーです……。心の中で呟いたら可笑しくなった。それが表情に出てしまっていたんだろう。
「てめ、何へらへらしてんだよッ」
男は険しい顔で腕を伸ばしてきて。ガッ。胸倉をつかまれた。男の行動はある程度予想できていたものの、自分の体内にアドレナリンが分泌されるのが解る気がした。
「っあきら」
美弥の怯えた声を聞いて俺は我に返る。
「勘弁してもらえませんか? ほら、女の子もいるし」
覆い被さらんばかりに接近してきた男をやんわり押し返しながら俺は言った。男は多分凄めば俺が平謝りに謝ると思っていたのだろう。予想が外れて一瞬呆気にとられた顔になる。
「ってめぇ女の前だからってイキッてんじゃねぇぞ! 女もまとめてボコるぞこら!」
胸倉をつかむ手に力が入り俺は少し身構えた。だがその瞬間に男の体ががくんと仰け反った。

「!?」

 誰かが男の頭をつかんで引っ張ったのだった。驚いて目を上げたその先にいたのはよく知った男だった。
「和人!?」
「何やってんだお前」
男の髪をつかんだまま和人は言った。髪を引っ張られるまま男は背を反らし、言葉にならない声で呻いている。何やってるって言われても……と言いかけた俺を無視して和人は男の頭を突き放した。反動で一瞬前のめりになった男は弾かれたように和人の方に向き直り怒鳴る。
「何しやがんだっこらテメー……」
だが相手の顔を認めて男の語気は萎んでいった。振り上げかけた手も止まっている。和人は眉間にしわを寄せて男を睨みつけた。
「まーたお前か。この前言ったよな? 守神の人間に絡むんじゃねーってよ」
男は一瞬俯いたがキッと顔を上げて和人を睨み返す。俺のほうを勢い良く指差しながら。
「んなこと言われたってコイツが守神の人間かどーかなんか知らねぇし!」
うん正論。でも和人相手にそれを言っても通じないよお兄さん……その人究極のバカだから。

 ドッ。鈍い音がして彼らの足元を見る。和人が男の脛を蹴り上げたのだった。男が小さく喉を鳴らすのが聞こえた。見る見るうちに男が意気消沈するのが背中を見ていても解るくらいで、俺は少し彼に同情さえした。
「知らねーとか関係ねーんだよ死ぬか?」
「ぅう……スミマセン……」
蹲る男の前に屈みこんだ和人は言葉を重ねた。
「お前さ。いい年なんだからむやみに喧嘩売るのとか止めろ」
――お前もな。思わず胸中で突っ込んだのは俺だけではないはずだ、多分。
和人が乱暴に男の肩を掴んで立たせる。ヨロヨロと立ち上がった男は何か悪態をついたのだろう、和人に派手に度突かれて二、三歩後退したが舌打ちして足早に去っていった。見送った後和人はこちらに向き直る。明るい色の髪が風に揺れ額があらわになる。キュッと上がった眉、その下の目尻が僅かに下がった眼、真一文字に結ばれた薄い唇。黙っていれば何とかいう芸能人にも似た甘い顔立ちとも言えるんだけど。
「大体弱ぇクセにうぜーんだよ。家に籠ってろっつの」
吐き捨てるように言う和人を見て美弥が僅かに自分の後ろに隠れ、俺の腕を強い力で掴んだ。ルックスは悪くないのに言動が粗野なため女受けがまったくよくない男なのであった。和人は僅かに乱れた服を直しながら俺のほうを見ないまま言葉を投げてきた。
「桜木……珍しいな、お前がこんな所にいるなんて」
「あぁ。映画見に来てたんだよ。久々に街に来てみたら変なのに絡まれて困ってた。助かったわ」
和人は無表情のまま俺を見、男が走り去った方を一瞥した。
「城下の人間の癖に調子乗ってるから悪ぃんだよあの馬鹿。この前メチャクチャにボコッてやったのに懲りてねぇ。今度見かけたらコロス」
憎々しげに言う和人を見て俺は苦笑した。守神とか城下というのはこの街の地区のことで、昔からいい関係ではなかった。時代の流れで表面上は穏やかな雰囲気だけれど、個人レベルでは和人のように相手方への悪感情を隠さない人間もいまだに多い。和人はふと美弥の方に視線をやり、少し驚いた顔になる。
「あれ、アンタ真佐哉の……」
美弥は慌てて俺の腕から手を離して和人に向かってぴょこんと頭を下げた。和人は初めてニヤリと笑顔を見せる。じろじろと俺と美弥を交互に見比べて。
「何、お前ら知り合い? んで映画? 二人で?」
「うっ」
ニヤニヤしたままの和人に脇腹を小突かれて俺は息を詰めた。この馬鹿、手加減って物を知らないらしい。違う、こいつとは幼馴染で、なんて言い訳をちゃんと理解したのかしなかったのか、和人は笑いながら「うまくやれよ」なんて軽口をたたき、身を翻して雑踏の中に消えていった。

「あーびっくりしたぁ……あきら、まだあの人とつるんでたの?」
和人の姿が完全に消えるのを見て、美弥はやっと元の調子の声を出した。俺は軽く頭を掻いて苦笑いした。
「別につるんだりしてねぇよ、学校同じだし顔合わすことはあるけど」
「えっ、あの人も守商なんだ? 知らなかったよ。あたしあの人ちょっと苦手だなぁ」
美弥は唇を尖らせて言った。確かに短気で喧嘩っ早い和人の評判はあまりよくない。喋ってみればただ馬鹿なだけで悪い人間じゃないんだけど。黙っていると美弥はハッとしたように目を見開き俺の腕を掴んできた。忙しい人だ。
「ね、ね、あの人真佐哉君の知り合いなんだよね!? あたし達のこと変なふうに真佐哉君に言ったりしないでしょうね?」
俺はちょっと眉を顰めて美弥を見た。ちょっと前まで『あたし達同性の友達みたいなものだから』って自信満々だったのはどこのどいつですか。
「和人はそういうことする奴じゃないよ。第一俺達『同性の友達と同じ』なんだから万一変な噂立てられてもどーってことないだろ? 和人は誤解したみたいだけど多分アイツは他人の色恋なんて興味ないしすぐ忘れるよ」
「……そ、そうか、そうだよね。それに助けてくれた人をそんなに悪く思っちゃダメだよね」
美弥は真剣な顔で頷いた。後半の言葉は自分に言い聞かせているようだった。そんな美弥を微笑ましく見ながら俺は大きく伸びをした。
「さーとっとと飯食いに行こうぜ。早く涼しい所入らなきゃ汗だくになっちゃうよ」

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