「あ、ここ!」
美弥が指差したのは骨董品店かと思うようなアンチックな建物だった。なんとなく意外な気がした。美弥の好みって解らない。もっと今風な所を想像していたのに。だが店の中は絶妙な匙加減で今と古さを共存させた洗練された内装だった。
豪奢なソファとローテーブルの席に通され、俺はアイスコーヒーを、美弥はランチセットを頼んだ。それを待ちながらしばらく映画の話なんかをする。主に美弥がさっき見た映画の感想を喋り、俺は聞くだけだったけど。
「でもさぁ、なんで守神にああいう映画館できないのかな?」
「んー? 何いきなり」
「だって守神と城下が合併してから結構経つでしょ? でも相変わらず栄えてるのは城下だけじゃない? 買い物も遊びも城下に出ないと出来ないなんて最悪だよ。知ってる? 守神の映画館」
「知ってるよ、ミリオンシネマだろ、ガキの時に行ったじゃん」
「あそこ今もう成人映画しかしてないし! 子供の時は気にならなかったけどあの辺なんか暗くてイヤだよねー。酔っ払いとかも多いし今はあんまり近づきたくないよ」
「ははは」
店員がやってきて美弥の前にランチプレートを置き、俺の前にグラスを置いた。美弥がわぁー美味しそうと感嘆の声を上げながらフォークを持ち上げる。それを見ながら俺はグラスにミルクを注ぎストローでかき混ぜた。氷が微かな音を立てながら回転し、ほどけたミルクがゆっくりとコーヒーを優しい色に変えていく。しばしの沈黙。コーヒーをすすりながら俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。
この街――守城市は「東の城下」、「西の守神」で構成されいて、旧さと新しさが共存し反発しあう街だ。
元々この土地には守神という名前しかなかった。ガキの時習った"郷土史"によると弥生時代の(と推定される)土器や貝塚が見つかったりととにかく大昔から人が住んでいたらしい。あまり歴史に興味はないのでうろ覚えだがそこそこ栄えていたって話も聞いた。結構立派な城も街の東にまだ残っている。城が建てられた当時――江戸時代より前らしいが――は所謂城下町があって賑わっていたというが、初代城主が戦に敗れ他所の土地の人間が城に住み始めてから元々いた人間は城を避けるように西の方へ移っていった。その新しい城主も一代限りで廃れ、ずいぶん長い間東の方は人気がなかったらしい。
「東の城下」に再び人が住み始めたのは戦中から戦後にかけてだった。割と山間の辺鄙な場所にある町だったため、疎開地として他所の人間が入ってきて後はなし崩しに……って感じだったらしい。「守神」と「城下」の人間の確執はその頃からずっとある。
守神の人間は余所者をひどく疎んじた。辺鄙な土地にコミュニティを作っていた人間にはよくある話だ。自分たちの作り上げてきた環境を、伝統を、ルールを。新しいものたちに踏み込まれ、踏み躙られ、変えられることを恐れ憎んでいた。だから城下に人が住み始めた時は争いが絶えなかったらしい。一方城下の人間は最初は守神の人間と歩み寄ろうと懸命だったという。そりゃそうだろう。別に争い、相手を追い出すためにここに来たわけではないのだから。だが何度と諍いを起こすたびに城下の人間の歩み寄ろうという気持ちは薄れていった。守神の人間は異常と言っていいほど気性が荒かったからだ。何度も小競り合いを繰り返し何人かの死者を出し、短気で粗野で暴力的で、集団になると猟奇的なまでの攻撃を繰り返しただひたすら外界を拒絶する守神の人間を城下の人間は怖がるようになった。
――まぁそれもちょっと昔までの話。特にバブル期前後の人の流入は大きくて、寂れていたはずの城下町は元々あった「守神」よりも人口が増え、活気が溢れ、都会的に発展していった。
閉鎖的だった守神も時代の波に飲み込まれ、徐々に自らのスタンスを変えざるを得なかった。外界に開かれ、外界を受け入れ、少しずつ人の気性も柔らかくなっていった。底の見えない溝のようだった守神と城下の境界も人の流れに埋め立てられ、今では跡形もない。
そして俺が小学生の時、「守神」と「城下」は合併して「守城市」になった。外から見ればそんな確執があった土地だと俄かには気づき難い、自然と高層ビルが共存する近代地方都市。それが今の守城市だ。
けれど人間の中身はそんな単純じゃなくてもっとどろどろしていて、一皮めくれば未だに互いを疎んじあう「守城市民」がいる。昔のいきさつなんて知らない、興味ない世代だって周りの大人の影響で互いにいい感情を持っていない。不良は人に絡む時に「お前ドコ中よ?」とか出身を確かめたりするって笑い話があるけど、ここでは「守神の人間か城下の人間か」がまず確かめられるのだ。同じ土地の人間なら小競り合いで済むことも違う地域の者だとわかって流血沙汰に発展することは多々ある。馬鹿馬鹿しいけどそれが現実だ。俺はついさっきの和人のことを思い出していた。彼はこの気質を顕著に体現している人間の一人だった。
城下の人間が守神の人間を嫌うのにはまだ理由がある。
それは「信仰」だ。
守神には大昔から「闇」や「夜」を崇拝する慣わしがあった。
それは「くらやみ様」と呼ばれ、土地の人間に対し絶対的な支配力を持っていた。「くらやみ様」は生と死を司り、天候を操る全能の神だった。それは同時に、残酷な罰を以って人々に己の力を垣間見せる悪魔的存在でもあった。そういうものを守神の人間は信じ、畏怖し、従ってきたのだ。呪術的な力を持ち、時に「くらやみ様」の使いとして働く巫女的存在の一族もいたという。勿論この時代にそんなものを真剣に信仰している人間は守神にもそうはいないだろう。
けれどその影は確実に残っていて。今でも守神で育った人間なら子供の頃親に諌められる時なんかに「言うこと聞かない子はくらやみ様に連れて行かれるよ」くらい言われたことがあるはずだ。城下の人間はそんな信仰があったことを知っている。それを本気で畏れているわけではない。
しかしそんな民間信仰を背後にちらつかせながら生活している守神の人間が他所の人間から見ると不気味なことは間違いなかった。未だに守神では数年~十数年おきに不可解な事件が起こる。
また、守神出身者が他府県で起こす犯罪は猟奇的なものが多かった。それ自体忌むべきものだが、裏腹に政治や経済の世界で大きな成功をおさめ、世間的に認められ華々しい働きをしている人間が多いこともことも城下の人間の黒い感情をかきたてる要素なんだと俺は思う。美弥が羨ましがっていた城下の「買物する所」も「遊ぶ所」も出資者や会社のトップは守神の人間だった。さすがに昨今は個人レベルの付き合いならば表立って衝突することはない。ただひとたび「地域」を背後に背負う時、嫌悪、羨望、嘲り、畏怖……。互いに相手にそんなどす黒い感情を向けているのだ。