密室 Side-Z

Lt3

「見つけたぞルパン!」
 叫んで駆け寄ると奴はギョッとした顔をした。まさかこんなに早く俺が来るとは思っていなかったのだろう、だが俺にはすべてお見通しなんだよ。そんな優越感を覚えながら奴の肩に手をかけると、なぜか奴は俺の肩をガッシと掴み返し――、ぐりんと体が反転したかと思うと暗闇に押し込められた。
「な、なんだぁ!?」
 壁に強かに背中を打ち、俺は顔を顰めた。体勢を立て直そうと足に力を入れると頭が固いものにぶつかる。どうやらここは壁をくりぬいた配線作業用のような狭いスペースらしい。おまけにルパンの奴まで入り込んできたもんだから、俺は壁につけた背中と腕で体重の大部分を支えるという空気椅子のような格好を取らざるを得なくなった。
 ルパンは素早くかつ慎重な手つきでこのスペースの蓋を閉め直している。なぜ奴がこんな行動に出たのかはすぐに分かった。部屋に組織の人間が入ってきたからだ。だがなぜ刑事である俺が追っている泥棒と一緒になってこんなせまっ苦しい場所で息をひそめにゃならんのだ。しかも狭いとはいえ、くっつき過ぎじゃぁねぇのか。
 俺は苛立ちを感じながら、顔だけ外に向けて様子をうかがっているルパンの胸を押した。
「おい」
離れろ、と続けようとした口を掌で塞がれて俺は眉根を寄せた。ルパンは人差し指を自分の口の前で立てて見せる。
「今見つかるとちぃっと面倒なんだよネ。とっつあんだってここにゃ正規のルートで入ってきてないんだろ?」
 図星だった。最初は正門から身分を明かした上でルパン逮捕のための捜査協力を仰いだのだが、すげなく門前払いを食わされたのだ。どうやら真っ当な企業じゃないようだ、と思いながら、俺の目的はルパン逮捕だけなので他人にはお勧めできないような方法でこの建物に潜り込んだのだった。
 俺は渋々ルパンの体を押す手を下した。俺が自分のいうことに黙って従ったのが面白かったのか、ルパンはにやりと笑い俺の口を塞いでいた手を離した。
 ――コソ泥風情が、こんなことで優位に立ったと思うなよ。いまいましい思いで俺は内心舌打ちする。コイツのこういうところが大嫌いだ。こっちは全身全霊で、それこそ一生を捧げるほどの決意で必死に追っているというのに――飄々と、人を食ったような態度でこいつは逃げ回る。捕まえた、と思ったのも束の間、するりと逃げだしていく。何度煮え湯を飲まされたことか。再び外の様子を窺いだしたルパンの横顔を、俺はイライラしながら睨み付けていた。



 外の様子はルパンの体が邪魔で俺の目には届かないが、ぼそぼそとした会話や物音は耳に届いた。それらの音やルパンの表情がわずかに厳しいものになったことから俺はこの籠城が短く済むものではないと悟った。不自然な体勢に張りつめた太腿に気合を入れ直す。と、膝にルパンの脚が触れ、自分たちが互いの脚の間に脚を入れるような状態になっていることを知った。力尽きて体勢を崩したらルパンの膝に腰を下ろすことになる。勘弁してくれよ……。俺はルパンに気取られないようゆっくりと足をずらし、触れた膝を離した。



 どれくらい時間が経ったのか。ルパンは飽くこともなく外の様子をうかがっていたが俺はそれどころじゃなくなっていた。
 何しろ狭い場所でおかしな体勢をとり続けているのだ。体中の筋肉が悲鳴を上げ始めていた。狭い空間に閉じ込められた二人分の熱がこもり、心なしか空気も薄くなっている気がする。ルパンは蓋のスリットから外気を供給されているせいか涼しい顔をしているが、箱の奥に押し込まれている俺はたまったもんじゃない。首筋を汗が伝う感覚に思わず大きく息を吐いた。その拍子に帽子が傾き視界が遮られたが、それを直す気力も今はない、というか壁から手を離したら崩れ落ちてしまいそうだ。
「あつい」
 思わずつぶやいたが、喉はひきつれて声が出なかった。ルパンが動く気配がして、帽子のつばに指がかかる。弱っている俺の顔を見てやろうって魂胆なのか。そんな思惑に乗ってやるもんか、と俺は前を見据える目に力を込めた。視界がゆっくりと上に開けていき、目が合うとルパンは驚いたような顔になった。そしてそのままぽかんとした表情で俺を見返してくる。

 顔が近いな、と気付いたのは逆光で見えにくい奴の頬も上気しているのが解ったからだった。なんでェ、涼しい顔しておいてコイツもしんどかったんじゃねぇか。息を荒げて我を忘れたように俺を見つめる相手を見て、何となく愉快な気分になる。しかし、体重までこっちにかけてくるんじゃねぇよ……体勢的にはお前の方がまだ何ぼかマシだろうが。ぼんやりしていながらどこかせっぱつまったような表情で上体をこちらに傾けてくるルパンに俺はまた苛立ちを感じる。だが、こんなに近くでこいつの顔を見るのは初めてだな、と思って俺ははっとした。

 今なら、コイツの素顔を知ることが出来るんじゃないのか、と思い当ったからだ。
 ルパン三世の本当の顔は誰も知らない、とされている。見慣れたこのモンキー面も素顔ではないというわけだ。今、この身動きの取れない状態でヤツの顎に手をかけて――マスクを剥いでやれば、彼の相棒である次元大介や石川五右エ門すら知らない『本当の顔』を拝めるわけだ。そう思った瞬間指がピクリと動いて痺れかけた手にコンクリのざらっとした感触がよみがえる。その気になれば片手を少しの間壁から離しても体を支えていられそうな気がする。だがしかし、
「……あ、の」
ルパンが掠れた声を出して俺は我に返った。ダメだ、この状況でそんなことをするのは卑怯じゃねぇか、と俺は自分に言い聞かせる。それでもずっと追い求めていたルパンの本当の顔を……という欲求を振り払おうと俺は目を閉じた。

!?

 その瞬間口のあたりに柔らかい衝撃を受けて目を見開く。視界にはルパンの頭と額の一部しか見えず俺は混乱した。ぬめぬめとした柔らかいものが口元を這いずる。下唇を歯で挟まれて、俺はやっと自分が何をされているかを悟った。沸騰した血液が逆流するかのような怒りが沸き上がる。
「――ッ、……ン゙んっ」
 なにやっとんだ、このドアホ!! 怒鳴ってやりたかったが口を塞がれてくぐもった声を漏らすことしかできない。その間にもルパンの唇や舌が俺の唇とその周辺を啄んだりくすぐったりする。暑さ起因ではない汗がダラダラとこめかみを伝い、俺は歯を食い縛った。しかし、ふいにヤツの冷たい手が首筋に触れ――ぞくりとした俺は不覚にも口を開けてしまった。ヤバいと思った時にはヤツの舌を受け入れる羽目になる。何とか逃れたくて顔を逸らそうとすると、今度は両手で顔を掴まれた。
「ん、ぅ……ッ」
その手が両耳をも覆ったことで、自分の喉から漏れる情けない声が頭の中で反響する。ジタンと香水の混じった甘い香りが鼻先をくすぐり、口内で縮こまった舌先に熱く潤んだヤツの舌が触れ、微かな水音が内側から俺の鼓膜を刺激して腰から背筋にしびれが走る。

 ――まったく自慢にならねぇが、俺はこういうことには免疫がない。
 若い頃にゃ付き合った女も人並みにいたが、専任捜査官としてルパンを追う職に就いてからはそんな暇も機会もなかった。当然セックスはおろかキスでさえとんとご無沙汰だ。そういう欲求がないとは言えないが、――ともかくここんとこの俺はずっと仕事一筋で、そういうことにかけちゃ二十代の青臭いガキの頃のまんま大した進歩はしていないというわけだ。

 なのに、コイツときたら。
 ドン・ファン気取りで女をとっかえひっかえしていることは知っている。なんだかんだと言って相手が途切れることがないことからその手練手管も相当なものなのだろうということは推測していた。惚れてもいない女を抱いたり、飽きた途端に突き放したりすることは俺には理解できなかったが犯罪に絡むようなことがない限り俺の知ったことじゃないと思ってきた。だがそのテクニックを俺に向けて披露するとなっては話は別だ……ッ!!
怒りと、表現し難い何かが俺の中で黒い炎を上げて渦巻く。そんな俺の胸中を知る由もなくルパンは熱に浮かされたような目でこちらを見つめたまま傍若無人に俺の口元にがっついている。舌を噛んでやろうかと何度も思ったが、そのたびに何か察知したのかするりと逃げられた。ただでさえ息苦しかったのが、口を塞がれてさらに苦しくなる。壁に押し付けられた背中に幾筋も汗が伝うのが解る。唇を甘噛みされ、それ自体が意思を持った軟体動物のような舌が口の中を隅々まで這い回りくちゅくちゅと淫猥な水音が脳内に響く。相手のものだと思っていた速い鼓動が自分のものだと気づき、俺は頭が朦朧としてきたことを知った。

「っ!」

触れては逃げ、を繰り返していた俺の舌がとうとう相手のそれに捕まった。舌先に自分のものとは違う濡れて柔らかい味を感じて身がすくむ。ルパンはまるで上等の肉でも味わうかのように俺の舌を絡めとり、吸い上げてはやわやわと噛んできたりする。暑さに渇いていたはずの口内はいつの間にか互いの唾液で満たされていた。どーすんだこれ。今にも唇の端から零れそうなそれに俺は目を白黒させた。と、ごくんとルパンの喉が鳴る音がしてぬめった液体が口の中から消える。

げっ、コイツ、飲みやがった――!!

理解しがたい彼の行為に頭が真っ白になり思わず強く目を瞑った。ルパンの顔がゆっくりと離れていく気配がして、たまらず息をつく。
「っは、ぁ……」
急激に肺に空気が入ってきて肩が上下する。だがその空気でさえ温度と湿度が高くて煮え立ちそうな頭を冷ましてくれそうにない。俺は冷静さを取り戻すため、目を瞑ったまま息を整えようとした。

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