吾輩は猫である

Lt3

「……ったく、うるせぇな」
「かれこれ一時間はああしておるのだぞ、どうするのだ」
「どうするったってなぁ……」
うんざりした顔で髭の男はため息を吐いた。
決して広くはない仮のアジトであるアパートの一室に、ミャーオ、アーオと猫の鳴き声が響いている。



ゆうべの仕事は某製薬会社の研究所から、開発中の新薬のレシピを盗み出すという仕事だった。
仕事自体は簡単なものだったのだ、目的のものもすんなりと手に入れることが出来た。
唯一の失敗といえば眠らせていたはずの研究員の一人が、薬の効きが甘かったのか目を覚まして――逃走間際のルパンに何かのスプレーを吹きかけたことだった。
一瞬すわ目潰しか睡眠薬か――と身構えた三人だったが、ルパンは軽く咳き込んだだけで何の変化も起きなかったのでただの苦し紛れの意味のない行為だったと判断して意気揚々と逃げおおせたのだった。



異変は翌朝に起こった。
なかなか起き出してこないボスを不審に思った二人が寝室で見たのは――頭から三角の耳を生やし、尻から伸びた長い尻尾をゆったりとくねらせながらベッドの上で身を丸くしてうとうとしている男だった。
驚きに声もなくして棒立ちになっている剣士をよそに髭の男は部屋に駆け込みボスを叩き起こしたのだが、猫耳を生やしたこの男は人語を理解できないようでまったく意思の疎通が図れなかった。

落ち着かない様子で部屋の中をぐるぐるしていた男はそのうち大きな声で鳴きはじめ、最初の内こそほほえましく?見守っていた二人も、その鳴き声がやむことのない状況にうんざりせざるを得なかった。



「腹が膨れりゃ大人しくなるかと思ったんだがな……」
髭の男は頬杖をつき乾燥タイプのキャットフードが山盛りになった皿を指ではじく。先ほどやったようにルパンの前に差し出してみるが、ふいっと顔をそむけられて舌打ちした。その様子を眺めていた剣士は意を決したように立ち上がる。
「仕方がない、これだけはしたくなかったのだが」
「何だ五右衛門、名案でも思いついたか? ……まさか斬る、とか言うんじゃねえだろうな」
心配げに眉をひそめたガンマンに返事をせず剣士はキッチンへ入っていく。
しばらくして戻ってきた剣士は左手に持った浅い椀をルパンの前にどんっと置いた。一瞬興味を惹かれてそれを覗き込んだ男だったが、顔を近づけて匂いをひと嗅ぎすると露骨に嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。
「何持ってきたんだ五右衛門」
ショックを受けたような顔をする剣士の肩越しに覗き込んだ髭の男の目に映ったのは白飯に味噌汁がぶっかけられただけの簡素な食べ物だった。
「カリカリも拒否するのにこんなもん食わねーだろ」
「なぜだ、日本では古来からネコには猫まんまと決まっておるのだぞ」
剣士は生真面目な顔でそういうと、相変わらずきょろきょろしながら鳴き声を上げ続ける男の頭に手を置いた。
「ましてや日本食が手に入りづらい此処で、拙者断腸の思いでこれを出したのだ……!」
三角の耳の間に置かれた剣士の手に力がこもる。
「食え、食うのだルパン――!」
「フニャーーーー!!」
全身を突っ張って拒否する男の頭をこれまた全力でグイグイと椀に押し付けようとする剣士を見てガンマンはため息をついた。
コイツ日頃のストレス発散も兼ねてやってるんじゃないだろうか…



ギャーギャー、ニャーニャーと攻防戦を広げていた二人だが、不意にルパンが何かに気付いたようにぴたりと動きを止めた。
「ん、何だ?」
「…わからんが、鳴くのは止めたようだな」
男は立ち上がり、そわそわとあたりを見回したあと爛々と目を輝かせてリビングをうろつき始めた。
「何か探してる……の、かな」
髭の男の呟きと、嬉しそうな表情で猫耳の男がドアの方を振り返ったのと、そのドアが乱暴に開けられたのはほぼ同時だった。
「見つけたぞルパン、今日こそ逮捕だ!!」
「ゲッ、銭形――!」
「ミャァアア~~~~~~ォ♡♡♡♡」
三者三様の叫びが上がったのもほぼ同時だった。それぞれ銃と剣に手をかけて立ち上がった二人をよそに、男は赤いジャケットをひるがえしてしなやかに跳んだ。人間とは思えない瞬発力と跳躍力に息を呑んだ二人だったが、一番驚いたのは飛び掛かられた相手だった。
「うわぁああああっ、貴様っ何のつもりだっ!?」
飛び掛かられて仰向けに倒れ込んだ相手の腹の上に箱座りを決め込んだ男は目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らしながらコートに頬ずりをしている。眼前で、黒い毛で覆われた三角の耳がぴくぴくと動くのを見た相手は絶句した。
肘をついて上半身をわずかに起こすと、黒ずくめの男と着物の男が呆然と自分たちを見ていることに気付く。視線がかち合った瞬間二人は脱出を試みたが、ベージュのコートの男が苦しい体勢のまま投げた縄手錠の方がほんの少し早かった。
「――オイ、これはどういうことだ? 説明してもらおうじゃねぇか」



「かくかくしかじか、というわけなんだよ」
四人はローテーブルを挟んで向かい合って座っている。ガンマンは昨夜からの出来事を、盗みのことはうまくぼかして相手に説明した。
「ふむ。解った。ような解らんような。とにかく今コイツは猫になりきっている、と」
真面目な顔でつぶやく警部を見てガンマンと剣士は笑いをかみ殺すのに必死だった。
なにしろこの部屋に入ってきた時からルパンは銭形にべったりなのだ。
スリスリと頬ずりしたり顔を舐めようとして何度も邪険に振り払われたのだったが、それを『遊んでもらっている』と勘違いした男は次第に興奮しネコパンチや甘噛み、爪を立てて取りすがるなどの荒っぽい行為に及んだ。
話を聞くのに邪魔だと何度もやめさせようとした銭形だったがあまりに話が通じないのであきらめて好きにさせてやることにした。
今や銭形の顔にはひっかき傷や歯形が刻まれ、シャツはボロボロになっている。その膝の上にルパンは上半身を乗せ、満足そうな顔をして喉を鳴らしているのだった。
「で、戻し方は?」
「それはこれから調べる。そうだ、とっつあん、その間そいつ預かっといてくんねえか」
「なっ…なんでワシが!?」
「だって俺らと居たらうるっせぇんだよソイツ……。とっつあん来たら大人しくなったし」
「おとなしかねぇだろ、ワシ傷だらけなんだが」
「わからんが今のルパンにとっての銭形殿は猫にとってのマタタビのようなものなのかも知れぬ」
「なるほど言いえて妙だな。冴えてるね―五右衛門。さ、元に戻す方法調べに行こうぜ」
「適当なこと言うなよお前ら……」

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