膠着状態。
先に動いたのは黒いスーツの男だった。
「……、なぁ」
戯れに顔を近付ければふいと逸らされる。男は薄い苦笑を浮かべた。
「そんなあからさまに嫌がられると傷つくぜ、銭さん」
穏やかな口調だったが銭形の表情はこわばった。
「別に嫌がるとかじゃ…髭がこそばゆいんだお前は。それよりその、脚をのけろ」
たまたま次元一人だったアジトに銭形が乗り込んできたのは数十分前だった。
今日こそ逮捕だと意気込む刑事にガンマンは自分一人だと告げ、一瞬気落ちしたかに見えた刑事は、ではルパンが帰ってくるまで待たせてもらう、と居座ったのだった。
それまで寝酒を楽しんでいたソファにどっかりと陣取られ、その隣にちょこんと腰かけて次元はちびちびと酒を飲み続けていた。
最初の内はいつも通りの会話だった――ルパンはどこだ、知らねぇよ、いつ帰る、さぁな……。
がらりと空気が変わったのは次元がポツリと漏らした一言のせいだった。
「この前言ったこと、覚えてるか銭さん」
銭形はぎくりとし口を噤んだ。返事はなくてもその態度で彼がそれを覚えているだろうことがわかる。心なしか体を離そうとするかのようにじりじりと動く銭形の腿に次元は自分の腿を乗せた。ぴたりと動きが止まり、銭形はぎこちない動作で首を回しこちらを見る。瞳が揺れているのは怯えか、それとも。
再び目を逸らし石のように固まってしまった銭形を見つめるでもなしに眺めながら、次元もまた黙っていた。
その重苦しい空気を破ったのが先ほどの次元の行動だったのである。
銭形はもぞもぞと脚を動かしたが、次元はその上に乗せた自らの脚に力を込めそれを封じた。
「アンタは冗談だと思ったみてぇだが俺は本気だぜ」
「――しかしお前は、奴の為なら命を捨てられるんだろう」
「何の話だ?」
重い口を開いた銭形の言葉に次元は眉をひそめた。
「それほど惚れ込んでいる奴がいるのに、その……なんで、俺に」
そこまで言うと気まずさを隠そうともしない表情でうつむいてしまった銭形を見て次元の口角が上がる。
「確かにルパンの為なら俺の命なんかなんでもねぇよ。けどな、だからって他のやつに惚れちゃいけないってこともあるまい」
手を伸ばして頬に触れてみると、銭形はわずかに身じろぎしたが拒否はしなかった。
「アンタだって同じだろ……? 生涯かけてあいつを追っかけますっつったって、その間に好いた女の一人や二人いるだろうに。それが俺に変わったところで何か都合が悪いのかい」
耳の縁をなぞり、首筋に指を滑らせると銭形はまた顔をこわばらせた。
「お前を見ているとどうしようもなく不安になる」
思ってもみない銭形の言葉に次元は動きを止める。
「お前は元々自分の命を軽んじているんだろう? それが、あいつと一緒にいると顕著になるのが解る。ルパンを守るためならば簡単に死ねる。違うか」
へぇ、と次元は半ば感心の気持ちで声を漏らした。いつも一人の男しか目に入っていないのかと思いきや、なかなかどうして色々なものを見ている。同時に、自分もあの力強い視線で見られていたと理解しゾクゾクとした興奮を感じた。
「いけないか? こんな商売やってりゃいつおっ死んでもおかしくねぇだろ。俺ァその覚悟はできてる」
「お前のは覚悟じゃない」
銭形は静かに言った。
「ただの死にたがりだ」
次元の指がピクリと動く。
「死をもってルパンに自分の存在を刻み込みたいんだろう? あいつにとっての唯一無二になりたいんだろう」
あまりに残酷な言葉に次元の唇は震えた。
「……、アンタだって」
同じだろう、という言葉を次元は飲み込んだ。銭形は決してルパンのために死んでも構わないとは言わないだろう。どれだけ傷ついても共に――住む世界は違えども――生き続けるほうを選ぶ、そういう男だ、と次元は思った。
――いけないのか?
声に出せない問いは誰へのものなのか次元にはわからなかった。
俺はあいつの為ならいつだって死ねる、俺にとってあいつはそれだけの価値のある男なんだ。
けれど。
脳裏によぎる、赤いジャケットの背中。
同じものを見つめ、同じものを追い、その存在について語らいながら一緒に生きたい。
同じものに傷つけられ。その傷を舐め合いたい。
それがアンタなんだ――、それは許されないことなのか?
「二番手でいいじゃないか、お互い」
そう囁いて次元は銭形のタイを緩め、彼のついた溜息を飲み込むようにして口づけた。
「っ、」
逃れようとする銭形だが、次元がその肩を掴む手に力を入れると諦めたように脱力した。酒の匂いと味が、密着した粘膜越しに流し込まれる。体をソファに縫いとめる腕の力強さとは裏腹に、行為は優しくひめやかに続けられた。